「一首鑑賞」の注意書きです。
181.浴槽は海に繋がっていません だけどいちばん夜明けに近い
(馬場めぐみ)
砂子屋書房「一首鑑賞」で井上法子が取り上げていました。
この歌を読んで、とっさにインフィニティ・プールを連想しました。マリーナ・ベイ・サンズのプールみたいなやつ。海には繋がっていないけど、いちばん夜明けに近い感じがする。
でも、実際はここで詠われているのはプールではなく浴槽です。大浴場とか露天風呂とかでもなく、そしてバスタブですらなく、「浴槽」。この言葉から連想するのはもっと閉ざされた場所です。しかも何だかむしろ不穏な感じがする。桐野夏生『顔に降りかかる雨』みたいな光景をイメージしました。ユニットバスで、もしかしたらシャワーカーテンとかかかってる感じの狭い浴室で、浴槽もそれほど大きくはない。
ここで言う「夜明けに近い」は、実際夜明けの光が見える、ということではないんだと思う。ここからは完全なる妄想の世界ですが、明け方にお風呂に入っているんじゃないかなぁ。なんかあんまりよくない状況(もしかしたら絶望的な状況)にいて、眠れなくて疲れ切っているけどお風呂には入る。で、「今、夜が明けるな」って。それを「希望が見える」って意味に直線的に解釈していいのかは分からないのですが、「この状況から抜け出せるってわけじゃない。でも、夜が明ける」みたいに受け止めました。
井上法子は私と同じようには読んでいませんが、それでも連作の他の作品にも触れつつ、
ここでは寧ろ、〈生の実感〉よりも〈死の実感〉を強く抱くゆえ、その一回性のきらめきを掬い取ろうとするまぶしい姿勢が光るようです。
優しくやわらかく、けれどりんと力強い、ふしぎな逆説の一首です。
と書いていて、イメージとしてはそれほど遠くないのかな、って勝手に思ってます。
落ちてゆく滝のインフィニティ・エッジ フラット・アースのここが最果て (yuifall)