「一首鑑賞」の注意書きです。
200.ああ、博士 まるでひとりの島みたいどこまでも心が浜になる
(瀬口真司)
砂子屋書房「一首鑑賞」で井上法子が取り上げていました。
うまく言い表せないのですが、学問というものが尊ばれていた時代に思いを馳せるような歌です。学問の世界の途方もない膨大さ、それを前にして自分はひとりきり島にいて、浜が広がる。
「どこまでも心が浜」に、すごい勝手な読み方ですが、研究が好きなんだ、って思った。まだ見ぬ場所がこれほどまでに広がっている。歩き回りたい。どこまでも行きたい。ひとりきりで、手がかりはゼロで、誰も助けてくれなくて、先が何も見えなくても。あるいは、目の前の海に漕ぎ出したい、ということなんだろうか。心の浜で拾い集めた材料を組み立てて。
知りたいことがあって、資料をかき集めているときの気持ちを思い出しました。時々立ち止まって考えを整理したりまとめたりしながら、理論を組み立てていく。誰かに教えてもらうことはできません。どんなしょぼい研究であっても、自分よりそれを知っている人はいないからです。もしいたとしたら、それに触れ、理解して、そこから更に進まなくてはならない。
ここで使われている「博士」という言葉は学位でもあるけど、概念でもあると思う。なぜなら、学問は「博士」を取ったからといって終わりにはならないからです。学位としての「博士」は人に与えられるものでしかない。それは通過点でしかないはずです。ここで見ている水平線の先の(勝手なイメージ)「博士」は、もっと概念的なものなんじゃないかと感じました。
というか、実際は分かりませんが、博士号を得た後の歌、とも読めます。私は今「博士」の称号を得たけれども、目の前には大海原があり、ようやく浜に立ったところだ、と。
金脈と信じ砂漠に踏み入って一粒ずつを拾うみたいに (yuifall)