講談社 穂村 弘著 「ぼくの短歌ノート」 感想の注意書きです。
画面のむこう側とこちら側 その2
現代に近づいてくるにつれて、テレビの向こうの世界は虚構、という感覚が逆に強まっていくのが面白いなと思いました。おおーすごい!から、のめりこむ時期(テレビやゲームのせいで凶悪犯罪がとか言われてた時代)を経て、うまく使いこなせるやつと使われちゃうやつに分かれる時代に突入してるのかな。
子の部屋を夜に覗けば腰までもパソコン画面に呑まれてをりぬ (藤原建一)
なんか、どきっとしますよね。子供ってそういうの夢中になっちゃうだろうし。しかし自分の子供時代はネット上の個人情報とかけっこうゆるゆるだったけどそんなやばい事態にはならなかったのですが、今ってそういうのも大変だしあとはSNS上でも人間関係作んなきゃなくて大変だよなー。今の子供たちってそういうのうまくやってんのかな。私ネット上の付き合いとかあんま得意じゃないからなぁ…。うーんでもこういうのって年齢っていうよりも性格なのかも。
事故車よりはづれたナンバープレートがモザイクのした蠢いてゐる (光森裕樹)
では、解説では
<私>の眼差しは、斎藤茂吉的な次元に戻っている。
とあったけど、そうなんかなぁ。むしろ次元は進んでいるのではないかと感じたけどな。より客観性を帯びた目つきというかさ。
やっぱりテレビとかパソコン系統のネタって苦手で、パソコン画面に呑まれてをりぬ、っていっても、吞まれちゃだめなのか?ってなると正直分からんです。本体はカロリーメイトでも食ってて、パソコン画面上で暮らせるんならそうしてちゃだめなのか、って。私はそういう人生は無理だけど、でもできる人はいるだろうし、もし自力でそれを維持できるのなら批判することもできないような。。画面のむこう側とどういう距離感のお付き合いをするのかについて、あんまり論じたくないです。ぶっちゃけよく分かんないし。
繋がるとファンが回るよモニターがあったかいって歌あったよね (yuifall)