いろいろ感想を書いてみるブログ

短歌と洋楽和訳メインのブログで、海外ドラマ感想もあります

「一首鑑賞」-17

「一首鑑賞」の注意書きです。

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17.小鳥図鑑なにゆゑ買ひしわれかともひと月経ちて思ひあたらず

 (田中穂波)

 

 砂子屋書房の「一首鑑賞」で松村由利子が紹介していた歌です。

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 松村由利子の「一首鑑賞」コーナー、面白くてたくさん引用してしまいます。この歌も好き。後から、なんでこんなことやったんだろう?って自分のことなのに全く分からないこと、時々ありますよね。(そしてそれを仕事でやらかすとマジで苦悩する。。)

 解説に

 

この歌の作者は、ひと月前に買った「小鳥図鑑」を眺めながら、不思議でならない。「いったい、どうしてこんなものを買ってしまったのだろう。小鳥を飼うつもりもないのに……」。分子レベルで考えなくとも、人は刻々と変わってゆくのだ。ふいに光が射すように、何かに命じられたかのように思いがけないことをするのが人間であり、だから面白い。私もある時、ヒールの高い真っ赤なサンダルを買った翌日に、「なにゆゑ買ひしわれか」と困惑した覚えがある。不思議な買い物ばかりではない。少し前に作った歌を読み、こんなヘンな「われ」が自分の中に存在するのかと驚くことは、歌をつくる人には多かれ少なかれ、あるのではないだろうか。

 

とあります。自分の中にこんなヘンな「われ」が存在することに驚くどころか、自分が作った歌読んで、何言ってんのか分からないこともあります(笑)。これだから思想も信念もないやつは…。なので、作者であっても歌の意味を100%理解しているわけではないのではないだろうか、と私は勝手に思っていますが、プロの歌人にそういう人はいないのかもしれませんね。。自分で理解できないことは書くな!と、論文のような指導されるのかも。

 枡野浩一の本には「後から覚えていないような歌は駄作」みたいに書いてあったような気がするし、きっと後から読んで意味が分からない歌とかないんだろうなーって思いました。マスノ式「かんたん短歌」って全然意味分からない歌ってないですしね…。

 しかしながら、書いたときは分かっていても後から読むと意味が分からんということは、論理に裏付けされていない文章だとままありますので、悩ましいところです。

 

 それにしても「小鳥図鑑」は、小鳥を飼うつもりが全くなかったとしても楽しそうだなー。感想それだけなんですけど、不意に見つけて読んでみて、何で買ったかはよく分からないけど買った自分ありがとう!ってなりそうだなと思いました。

 

 

矢のように額をつき破っていく名前を知らない衝動がある (yuifall)

 

「一首鑑賞」-16

「一首鑑賞」の注意書きです。

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16.本棚のむこうでアンネ・フランクが焦がれたような今日の青空

 (岡野大嗣)

 

 砂子屋書房の「一首鑑賞」で松村由利子が紹介していた歌です。

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 岡野大嗣というと、

 

骨なしのチキンに骨が残っててそれを混入事象と呼ぶ日

 

みたいなスタイリッシュブラック短歌のイメージが強かったのですが、これ読んで泣きたくなりました。もしかしたらアンネ・フランクは曇り空にだって雨の空にだって焦がれたかもしれないけど、青空、その、誰にとっても(多分作者にとっても)美しい青空の下で、アンネ・フランクのことをこの人が考えていたというその一点だけで胸が締め付けられた。

 解説にも

 

歌を読み終えた瞬間、胸が詰まるような思いにさせられる。ああ、本当にどれほど彼女は広い青空の下で駆け廻りたかったことだろう。

美しい景色、満たされた気分、健康な自分……そんなときにアンネを思い出すことは、なかなか難しい。34歳という若い作者が、「青空」の向こうに、遠い昔に収容所で命を落とした少女を思う心の美しさに打たれる。

 

とあります。この人の、

 

母と目が初めて合ったそのときの心でみんな死ねますように

 

という歌、それから中島裕介の

 

モルヒネを打たずに心を縫うような痛みだ今日の空の高さは

 

を思い出しました。

 

 

殺し合う三千年を紐解けば立ち上がりくる骨の寝台 (yuifall)

 

 

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Somebody Loves You (Betty Who) 和訳

洋楽和訳の注意書きです。

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Somebody Loves You (Betty Who)

Songwriters: Betty Who, Peter Thomas

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Who’s around when the days feel long

Who’s around when you can’t be strong

Who’s around when you’re losing your mind

Who cares that you get home safe

Who knows you can’t be replaced

Who thinks that you’re one of a kind

 

Somebody misses you when you’re away

They wanna wake up with you everyday

Somebody wants to hear you say

Ooh somebody loves you

 

I’m around when your head is heavy

I’m around when your hands aren’t steady

I’m around when your day’s gone all wrong

I care that you feel at home

Cause I know that you feel alone

I think you’re going to miss me when I’m gone

 

Somebody misses you when you’re away

They wanna wake up with you everyday

Somebody wants to hear you say

Ooh somebody loves you

 

Why don’t you come on over

Why don’t you lay me down

Does the pain feel better

When I’m around

If I am good to you

Won’t you be good to me

That’s how easy this should be

 

Somebody misses you when you’re away

(Somebody misses you baby)

They wanna wake up with you everyday

(They wanna wake up with you)

Somebody wants to hear you say (Oh they want you to say)

Ooh somebody loves you

 

 

直訳

 

Who’s around when the days feel long

一日が長く感じるときそばにいてくれる人は誰?

Who’s around when you can’t be strong

あなたが強くなれないときにそばにいてくれる人は誰?

Who’s around when you’re losing your mind

正気を失いそうなときにそばにいてくれる人は誰?

Who cares that you get home safe

あなたが無事に家に着いたか心配している人は誰?

Who knows you can’t be replaced

あなたがかけがえのない人だって知っているのは誰?

Who thinks that you’re one of a kind

あなたが特別な人だって思っているのは誰なの?

 

Somebody misses you when you’re away

あなたがそばにいないとき寂しがっている人がいるよ

They wanna wake up with you everyday

毎日あなたのそばで目覚めたいと思ってる

Somebody wants to hear you say

あなたの話を聞きたがってる人がいる

Ooh somebody loves you

誰かがあなたを愛しているの

 

I’m around when your head is heavy

あなたの頭が重い時そばにいるよ

I’m around when your hands aren’t steady

あなたの手が震えるときそばにいるよ

I’m around when your day’s gone all wrong

一日じゅううまくいかない日もそばにいるから

I care that you feel at home

あなたがくつろいでいるかどうか気にしているの

Cause I know that you feel alone

だってあなたが孤独を感じていることを知っているから

I think you’re going to miss me when I’m gone

私がいないとき、寂しいって思ってくれるよね

 

Why don’t you come on over          

そばに来てくれない?

Why don’t you lay me down

私を横たわらせてくれない?

Does the pain feel better When I’m around

私がそばにいるとき痛みが和らぐの?

If I am good to you Won’t you be good to me

私があなたに優しいなら、あなたも私に優しくしてよ

That’s how easy this should be

それってとっても簡単なはず

 

*なんでずっとsomebody(単数形)が主語だったのに突然they(複数形)になってるんだろうか、と思ったのですが、これはhe/sheという意味でのtheyなのかな。なのでsomebody=they(便宜上)と解釈してもいいのでしょうか。

*Somebody wants to hear you say Ooh somebody loves youの部分について、私はSomebody loves youのsomebodyは今までのsomebodyと同一人物だと思っていて、その「誰か」がmisses you when you away, want to wake up with you everyday, wants to hear you say, loves youの共通した主語だと思っていたのですが、いろんなサイトさんを見ていたらsomebody wants to hear you say "somebody loves you". つまり、あなたが「誰かがきみを愛してるよ」って言うのを聞きたがってる、と解釈している人もいて、あー、そうなの?と思いました。確かにhear you sayの後に何て言ったか書いてないもんな。

*heavyには「(気持ちが)沈む」「悲しい」の意味もあるから、気が重い時、とかつらい時、みたいな感じかな。

*手が震えるとき、は「緊張した時」と解釈しました。

*まあ要はsomebodyって言ってるけど「私」ですよね。わたしがあなたを愛してるよ、ってことだよね。

*MVかわいいです。アーティ出ててきゅんとしたよね♡

 

gleeのS6でKlaineがデュエットしてて好きになった曲です。カートからブレインへの切ないラブソングだと思って聴いてました。

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*ちなみにゲイの男性がプロポーズ動画をYouTubeにアップした曲としても有名みたいです。

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意訳

 

一日が長く感じるとき、そばにいてくれる人は誰?

強くいられないとき、そばにいてくれる人は誰?

冷静でいられないとき、そばにいてくれる人は誰なの?

きみが無事に帰ったか心配しているのは誰?

きみがかけがえのない人だって知っているのは誰?

きみが特別な人だって思っているのは誰なの?

 

きみがいないと寂しくて

毎日隣で目覚めたいと思ってる

きみの話を聞きたいと思ってる

つまりはきみを愛してる、そんな人がいるんだ

 

きみがつらい時、僕がそばにいるよ

緊張して手が震える時もそばにいる

何もかもうまくいかないって感じる日も、僕がそばにいるから

きみの心が穏やかだといいな

だってきみが寂しがり屋なこと知っているから

僕がいないとき、会いたいって思っていてくれる?

 

きみがいないと寂しくて

毎日隣で目覚めたいと思ってる

きみの話を聞きたいと思ってる

つまりはきみを愛してる、そんな人がいるんだ

 

ここに来て、僕を横たえて

そばにいると痛みが和らぐの?

きみに優しくしたら、僕にも優しくしてくれる?

そんな簡単なことでいいんだ

 

きみがいないと寂しくて

毎日隣で目覚めたいと思ってる

きみの話を聞きたいと思ってる

つまりはきみを愛してる、そんな人がいるんだ

 

きみを愛している、そんな人がいるんだよ

 

 

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小林恭二 『短歌パラダイス』感想 2-14「昔」

『短歌パラダイス』感想の注意書きおよび歌合一日目、二日目のルールはこちらです。

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 最後は「昔」です。

 

昔からそこにあるのが夕闇か キリンは四肢を折り畳みつつ (一郎次郎)

呪ひをいくつも唱へ子は昔ガガンボの影してひぐれの塀に (七福猫)

このあろはしゃつきれいねとその昔ファーブルの瞳(め)で告げたるひとよ (ぐるぐる)

 

 

昔からそこにあるのが夕闇か キリンは四肢を折り畳みつつ (一郎次郎)

 

 「一郎次郎」の歌、好きです。行ったことないけどサバンナの夕闇をイメージした。夕方になってキリンが四肢を折り畳み、休もうとしている光景があって、そこでキリンが長い長い命の営みを繰り返してきたことに寄り添うようにして、昔から夕闇もそこにあったのだ、という感慨です。味方チームの小池光は

 

キリンが肢を畳んでうずくまっている場所が、夕闇の原形であるということを言ってるんだよ。

 

と述べています。

 

 

呪ひをいくつも唱へ子は昔ガガンボの影してひぐれの塀に (七福猫)

 

 「七福猫」の歌は、ひぐれ、影が長く伸びる時間帯に、子供の影が「ガガンボ」の影のかたちになって塀に映し出された、ってことだと思うのですが、最初の「呪ひをいくつも唱へ」が怖いですね。呪いのせいで影がガガンボになってしまった、って感じがします。こうなると、影がそうなるだけじゃ済まなくて、だいたいは夜になるとガガンボに変身しちゃうんだな。多分、呪いは大人になった時に解けてしまったのではないかと思われます。

 後から鴇田智哉の

 

ががんぼの古い形が目に残る

 

という俳句を知って、ガガンボには「古さ」と結びつく何かがあるのかなって感じました。

 

 

このあろはしゃつきれいねとその昔ファーブルの瞳(め)で告げたるひとよ (ぐるぐる)

 

 「ぐるぐる」の歌は、歌そのものは難しくないのですが、「ファーブルの瞳」の解釈が面白かったです。

 

・「ファーブルの瞳」は、昆虫に熱中しているおたく的な人間の瞳。人間と関わるのが下手で病的な感じの人(大滝和子)

・「ファーブルの瞳」は観察者の目。蝶を観察するようにアロハシャツを見て褒めている(永田和宏

・別に、澄んだ目とか青い目とかそういう軽い受け取り方でいい(奥村晃作

 

 小林恭二は、それぞれに対して「大滝和子は人間と関わるのがいかにも下手そうだ」とか(失礼じゃね?)、「永田和宏は科学者だから」とか「奥村晃作はただごと歌を評価するから」とか、歌人の特性に当てはめて、「それぞれの念人が「ファーブルの瞳」に自分の短歌観を重ねあわせようとしたところは注目に値する」と書いています。

 そう言われるとすごく解釈しづらいのですが(笑)、私は好奇心に満ち溢れたキラキラの瞳と読みました。昆虫大好き!なファーブルみたいに、「このアロハシャツきれい!」って感じです。そんなキラキラした目で見られたら僕のこと好きなんじゃないかって思っちゃうよ…、って感じです(笑)。

 

 

 この勝負は難しいですね。どれも好きです。ですが、第一印象で「一郎次郎」かな。

 「一郎次郎」は吉川宏志、「七福猫」は河野裕子、「ぐるぐる」は穂村弘でした。

 

 ここまで読んできて思ったのは、「題詠」の読みは純粋な「一首読み」というよりも意外と状況に左右される、ということもあるのですが、一つ一つの試合の勝敗もそれなりに状況に左右されるんだ、とも思いました。勝ち負けの判定をその場でするのは多分すごく難しいんだと思います。

 この歌合2日目の勝負、結局どのチームも四勝(引き分け2)でドローだったんですけど、この結果は若干作為的なものもあるのかなー…、と。後半のどの歌が勝ってもいいようなシーンでちょっと調節したりとか…。あとは、「試合の流れを変えたい」とかいろんな理由で難しい勝負をどちらかに振ったりするシーンもあったので。

 例えば歌合2日間を通して河野裕子の歌は一勝もしてないんですけど、個人的には3首のうち2首は勝ってると思ったし、最後のこの1首も、多分「一郎次郎」チームがすでに4勝してて「七福猫」が3勝の状態だったら「七福猫」が勝ってたと思う。だから純粋に歌と歌の勝負ではなく、状況で勝敗が左右されることもあるんだろうな、と。あとは当然、味方チームの擁護と敵チームの攻撃があるわけだから、解釈のやり方によっても勝敗は分かれそうです。

 

 それにしても、チーム戦で歌を詠むという試みも、味方の歌をいい感じに解釈して敵の歌をなるべくけなす、というのも面白いなと思ったし、チーム内に素人がいたりするのも楽しかったです。あとは誰の歌だか分からないようになってるのもよかった。ただ、1日目と違って2日目は歌人同士の議論の内容があまり本に書かれていなかったので、もっと詳しく知りたかったなと思いました。

 一晩泊まって歌を作るの、大変だっただろうけど楽しかっただろうな!おそらく私が知らないだけで、学生の短歌会とかではこういう試合したりしているのかな、って思ったりもしました。

 

 

瞬きの速度で今はもう昔津波のように呟きたちは (yuifall)

 

「一首鑑賞」-15

「一首鑑賞」の注意書きです。

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15.人魚姫と王子が出逢うその脇でわかめになってそよぐわたくし

 (入谷いずみ)

 

 砂子屋書房の「一首鑑賞」で松村由利子が紹介していた歌です。

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 昔、10代の頃、生まれ変わったらわかめになりたいと思っていました。わかめというか、海藻かな。海の底でずっと何万年も揺られていたいと思っていた。食べられてもいいし。なんでそんなこと考えたんだろうなーと思って色々思い出そうとしたのですが分かりません。

 

 この歌に出会って、だから、だよねーって思った。昨今(この記事を書いていた頃)、内親王眞子さまの結婚問題が世間を賑わせていますが、現代においては「わかめ」が「姫」に憧れることよりも、「姫」が「わかめ」に憧れることの方が多いのでは、と思ってしまった。

 

 鑑賞文には

 

人魚姫への嫉妬が全くないかと言えば、そうとも言い切れない。自意識は強い。だから、じっと立っていてもよいのに、そよいでしまう。

 

人魚姫のように、他人に頓着せず自分の思いを遂げてしまう人もいれば、回りが見えすぎて「いやいや、私、わかめですから」と脇へ引っ込んでしまう人もいる。どちらがいいということはない。それが人の分なのだ。そんな深いことを、さらりと、あたかもわかめがそよぐように表現した作者の知性が、とても光っている。

 

とあるけど、人魚姫が他人に頓着していないとは思わないし、それ以前に別に姫になって王子と結ばれたいって思わないんだよなー。というかそう思う人の方が少ないのではないかなぁ。

 

 そもそも、人魚姫に嫉妬するかなぁ。人魚姫、王子様との恋が成就せず死ぬじゃないですか…。この「人魚姫」は、「他人に頓着せず自分の思いを遂げてしまう人」の象徴ではなくて、「悲恋と知りながら身を持ち崩してしまう人」みたいに思えます。そういうドラマチックな恋、あるいは英語で言うところのdrama queen、悲劇のヒロインを演じる人を後目に、わかめです。っていう感じなのではないのだろうか。

 

 解説には

 

この歌について、「幼いころの学芸会の思い出」と取った鑑賞文を読んだことがある。そのときの役割さながらに、恋愛の場面でも「わかめ」という脇役になってしまった作者だというのだ。

 

こうもあります。

 ああー、「わかめ」役ね。これも、生誕劇で「星の役」だった私が言いますが、

「一首鑑賞」-その11 - いろいろ感想を書いてみるブログ

主役になりたくない子もいるんですよね。出し物そのものが、劇よりも合唱とかの方がいいって子もいるし(目立たないからという理由で)。

 それに、確かにおそらく演劇において「わかめ」は脇役だと思うのですが、恋愛の場面においては脇役とは限らなくない?わかめにはわかめの恋があるのではないの?相手は王子様じゃなくてわかめでしょうが。誰にも注目されず、楽だし、わかめ最高です。おいしいし。王子様のことを愛してしまったから辛いのかなあ。でもそれ言ったら人魚姫だって恋愛が成就せず死ぬしなー。

 

 うーん、しかしどうして「人魚姫」を選んだのであろうか。最初に「わかめ」ありきで、海の底を舞台に…と考えた結果としての「人魚姫」?そうすると、童話の「人魚姫」よりも、ディズニー映画の「リトル・マーメイド」をイメージした方がいいのだろうか。それとも、悲恋としての「人魚姫」が重要なのかなぁ。これが、最終的に恋愛が成就する「シンデレラ」とか「眠りの森の美女」とか「美女と野獣」とかでも意味合いは同じなの?それとも違うの?

 

 人魚姫と王子様との出会いは人魚姫にとっては一生に一度の出会いであると同時に不幸の入り口にも思えますし、それを隣で見守りながらわかめ生活を全うするわかめでいる方がいいなーって思ってしまうのは、「嫉妬」や「脇役」というよりも「芸能人の恋をネット記事で見ている一般人の自分」みたいな感じだからですかね。この歌では「その脇」だからもうちょっと近いのかもしれませんが。テレビ局で働く人くらいな距離感?

 

 

いつの日かラムシュプリンガの夢を終えあなたは村に帰るのだろう (yuifall)

 

「一首鑑賞」-14

「一首鑑賞」の注意書きです。

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14.「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

 (俵万智

 

 この歌を知ったのはいつかはもう思い出せないくらい前で、この歌で感想を書くことは穂村弘ぼくの短歌ノート-「日付の歌」 で登場して以来もうないと思っていたのですが、砂子屋書房の「一首鑑賞」で都築直子が紹介していて、なんかちょっと考えたので書いてみました。

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 鑑賞文にはこうあります。

 

サラダ記念日の一首がいっていることは、「私作る人、僕食べる人」と同じだと当時の私は感じた。短歌を知らない者にとって、五七五七七という短詩形が現代に生き、作られているということ自体は、新鮮な驚きだった。だが語られる内容にはついていけない。昭和の始めに戻ったような、なんとも古臭い男女観。ちょっと待って、といいたくなる。あなた本気でこういってるの? いや、作者がこういう歌を作るのはいい。それは表現の自由であり、作家個人の問題だ。私が受け入れ難かったのは、歌集がベストセラーであること、つまり日本人の多くがこの価値観をよしとしたという、その事実だった。私がこれから生きていくのは、こういう人たちが多数派である社会なのか。少しばかり大げさにいえば、目の前が真っ暗になった。

 

 私はこの歌集を読んだ時、時代の風潮と言ったものと重ねることはなく、なんというか単純に「主人公(作者あるいは作中人物)の気持ち」として一首一首の歌を受け止めていました。社会の中の一人、として見る目線に欠けていたと思います。

 だから、これを読んで初めて、今までずっと薄々感じてはいたけど言葉にはしてこなかったことをびしっと言い当てられたような気がして、はっとしました。確かに、そう思ってた。『サラダ記念日』それに『チョコレート革命』、いずれも、三歩下がって男に付いて行く昔の女って感じだなーって思ってた。だけど、私にとって俵万智は上の世代の女性だし、それほど違和感を覚えてなかった。男に「嫁さんになれよ」「お前」「待ってろ」「いつもきれいでいろ」とか言われて喜んでいても、サラダの味付けや夕食の献立に一喜一憂してても、妻子のいる男にさんざん振り回されてても、「この人」のストーリーだと思ってたし、そういうものとして単純に受け止めて読んでいました。

 でも鑑賞文に

 

1975年、ハウス食品は「私作る人、僕食べる人」という会話を使った即席ラーメンのテレビ・コマーシャルを作り、消費者から「男女の役割分担意識を固定する」という抗議を受けて放送を取りやめた。

 

こうあって、「男女の役割分担意識を固定する」という批判がテレビCMに対して起こったのが1975年であったという事実にすごく驚きました。もしかしたら社会の状況ってそれほどドラスティックには変わってないのかもしれないと。もし、今現代において20代の女の子が『あなたについていきます』みたいな歌集作って(も、もちろんいいんですけど、それが)大ベストセラーになったら、私もまじかよー、日本ってそうなんだーって思うかもしれません。

 

 とはいえ、7月6日になると歌人Twitterが「サラダ記念日」で盛り上がったりするの見ていて楽しいし、単純にお祭りとして楽しんだり、短歌史の中のエポックメイキングな出来事として触れるだけでもいいのかな、という感じもします。この歌一首だけで読めば、恋愛のある一場面として爽やかなひと時だとも思うし…。あと昨今の風潮からすると、主人公が男性であってもいいのかなとも思った。「この味がいいね」って言うのが彼女で。

 時代は大きくは変わっていないのかもしれませんが、それでも時の流れと共に一首に読まれる意味合いも移り変わっていくのだなあと感じましたし、こういう批判も含めて多面的な読み方ができるという点においても、今でも色褪せない名歌と言えるのかもしれません。

 

 

どこからが「手作り」で「愛」? お豆腐とレタスに塩昆布を和えている (yuifall)

 

 

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「一首鑑賞」-13

「一首鑑賞」の注意書きです。

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13.僕たちの骨がオパールになるほどの遠いひかりの果てであいましょう

 (蒼井杏)

 

 この歌は本当に偶然出会った歌です。

 

 「僕たちの骨が」という表現から遠い未来をまず連想しましたが、次に「オパール」と来て、これは単なる未来じゃないな、と。「化石」じゃなくて「オパール」なので、やはり「ひかり」を連想しました。あの複雑な遊色。オパールには、「光の変化を見る」という意味もあるようですね。この「オパール」はやはり白色系なんだろうか(「骨」だから)。

 

 骨、という言葉から、一般的に連想されるものってどういうものなんだろうな、って考えました。漫画とかで見るような真っ白くてまっすぐな骨なのか、鶏肉を食べた後に出てくるような細くて肉片がついた骨なのか、焼かれて原形をほとんど留めていないくすんだ色の骨なのか、それとも、いわゆる骸骨なのか。

 当然、ここでの「僕たちの骨」は何かの比喩というか精神的な意味合いなんでしょうが、「骨」という言葉から、もともとは「遠い死後、どこかでまたあいましょう」っていう意味合いを想像していました。でも「遠いひかり」をもっと精神的に受け取ると、僕たちは今ここに生きていて、だから体の中にあって実際には見えない「僕たちの骨」が美しい遊色を放つようになるというふうに考えた方が面白いのかなって思ったりしました。「遠いひかりの果て」にたどり着くのは生きたままの方が難しいと思うし、だからこそ生きたまま、遠いひかりの果てであなたに会えたら、って。

 

 作者は後で引用しようと思っていた『瀬戸際レモン』の人でした。偶然出会えてラッキーだったなと思います。歌集読むべきだろうか…。ググってみると、『瀬戸際レモン』は

 

ここがたぶん瀬戸際でしたゆっくりとレモンの回転している紅茶

 

からタイトルが取られているようです。この歌もすてきですね。

 

 

振り向いた君は二色の電気石 百年俺の目を灼くだろう (yuifall)

 

 

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