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「一首鑑賞」-15

「一首鑑賞」の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

15.人魚姫と王子が出逢うその脇でわかめになってそよぐわたくし

 (入谷いずみ)

 

 砂子屋書房の「一首鑑賞」で松村由利子が紹介していた歌です。

sunagoya.com

 昔、10代の頃、生まれ変わったらわかめになりたいと思っていました。わかめというか、海藻かな。海の底でずっと何万年も揺られていたいと思っていた。食べられてもいいし。なんでそんなこと考えたんだろうなーと思って色々思い出そうとしたのですが分かりません。

 

 この歌に出会って、だから、だよねーって思った。昨今(この記事を書いていた頃)、内親王眞子さまの結婚問題が世間を賑わせていますが、現代においては「わかめ」が「姫」に憧れることよりも、「姫」が「わかめ」に憧れることの方が多いのでは、と思ってしまった。

 

 鑑賞文には

 

人魚姫への嫉妬が全くないかと言えば、そうとも言い切れない。自意識は強い。だから、じっと立っていてもよいのに、そよいでしまう。

 

人魚姫のように、他人に頓着せず自分の思いを遂げてしまう人もいれば、回りが見えすぎて「いやいや、私、わかめですから」と脇へ引っ込んでしまう人もいる。どちらがいいということはない。それが人の分なのだ。そんな深いことを、さらりと、あたかもわかめがそよぐように表現した作者の知性が、とても光っている。

 

とあるけど、人魚姫が他人に頓着していないとは思わないし、それ以前に別に姫になって王子と結ばれたいって思わないんだよなー。というかそう思う人の方が少ないのではないかなぁ。

 

 そもそも、人魚姫に嫉妬するかなぁ。人魚姫、王子様との恋が成就せず死ぬじゃないですか…。この「人魚姫」は、「他人に頓着せず自分の思いを遂げてしまう人」の象徴ではなくて、「悲恋と知りながら身を持ち崩してしまう人」みたいに思えます。そういうドラマチックな恋、あるいは英語で言うところのdrama queen、悲劇のヒロインを演じる人を後目に、わかめです。っていう感じなのではないのだろうか。

 

 解説には

 

この歌について、「幼いころの学芸会の思い出」と取った鑑賞文を読んだことがある。そのときの役割さながらに、恋愛の場面でも「わかめ」という脇役になってしまった作者だというのだ。

 

こうもあります。

 ああー、「わかめ」役ね。これも、生誕劇で「星の役」だった私が言いますが、

「一首鑑賞」-その11 - いろいろ感想を書いてみるブログ

主役になりたくない子もいるんですよね。出し物そのものが、劇よりも合唱とかの方がいいって子もいるし(目立たないからという理由で)。

 それに、確かにおそらく演劇において「わかめ」は脇役だと思うのですが、恋愛の場面においては脇役とは限らなくない?わかめにはわかめの恋があるのではないの?相手は王子様じゃなくてわかめでしょうが。誰にも注目されず、楽だし、わかめ最高です。おいしいし。王子様のことを愛してしまったから辛いのかなあ。でもそれ言ったら人魚姫だって恋愛が成就せず死ぬしなー。

 

 うーん、しかしどうして「人魚姫」を選んだのであろうか。最初に「わかめ」ありきで、海の底を舞台に…と考えた結果としての「人魚姫」?そうすると、童話の「人魚姫」よりも、ディズニー映画の「リトル・マーメイド」をイメージした方がいいのだろうか。それとも、悲恋としての「人魚姫」が重要なのかなぁ。これが、最終的に恋愛が成就する「シンデレラ」とか「眠りの森の美女」とか「美女と野獣」とかでも意味合いは同じなの?それとも違うの?

 

 人魚姫と王子様との出会いは人魚姫にとっては一生に一度の出会いであると同時に不幸の入り口にも思えますし、それを隣で見守りながらわかめ生活を全うするわかめでいる方がいいなーって思ってしまうのは、「嫉妬」や「脇役」というよりも「芸能人の恋をネット記事で見ている一般人の自分」みたいな感じだからですかね。この歌では「その脇」だからもうちょっと近いのかもしれませんが。テレビ局で働く人くらいな距離感?

 

 

いつの日かラムシュプリンガの夢を終えあなたは村に帰るのだろう (yuifall)