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「一首鑑賞」-11

「一首鑑賞」の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

11.影のため生まれる光と知りながら君のひたいの星ばかり見る

 (飯田彩乃)

 

 これは、砂子屋書房の「一首鑑賞」で石川美南が紹介していた歌なのですが、この歌を紹介していたわけではなく、もともとは

 

ともだちはみんな雑巾ぼくだけが父の肌着で窓を拭いてる (岡野大嗣)

 

の「一首鑑賞」のページで、そこに載っていた歌です。

sunagoya.com

 同じページ内ではほかにも

 

ジュード・ロウみたいにかっこよく禿げる夢は叶わずただ禿げて死す (木下龍也)

 

「嫌いだ」をあわてて「苦手」と言い換える開けっ放しのガラス戸のカフェ (飯田和馬)

 

が紹介されていたのですが、いずれも

 

『短歌の夜明けらしきもの』は、「何らかの歌詠みたち」名義で発行された小冊子(岡野大嗣編集)。「何らかの歌詠みたち」は短歌朗読のために結成された不定形ユニット(?)で、今年7月に行われた朗読会には、岡野と木下龍也、飯田和馬、飯田彩乃が参加した。

 

という小冊子に載っている歌のようです。

 

 岡野大嗣と木下龍也の歌についてはそれほど解説や解釈を要さないというか、歌の内容そのままを味わえばいいのかなーと思ったのですが、飯田和馬の歌でちょっと立ち止まりました。解説には

 

この一首だけだとちょっと解釈に迷うのだが、作中の語り手ではなく、一緒にカフェにいる誰かが「言い換え」たのだと読んだ。「嫌い」という強い言葉を使ってしまったことを瞬時に恥じて「苦手」と言い直す(友人?恋人?の)潔癖な人柄や、若干ぎこちない会話運び+オシャレなカフェという組み合わせから、その場の空気感が伝わってきて楽しい。

 

とあります。

 私はもっと単純に、作中の語り手自身が「言い換えた」のかと思っていました。カフェなんだから例えばコーヒーを飲んでいて、自分は絶対ブラック派でコーヒーに砂糖やミルクとか邪道だと思っていて、つい「ミルクとか入れるの嫌いなんだよね」と言いかけ、一緒にいる人が何とかフラペチーノみたいなやつ飲んでるのに気づいて「いや、苦手なんだよね」って言い換える、みたいな。でも一緒にいる人はその微妙なニュアンスに全然気づいてなくて、「そうなんだー。ブラックで飲めるとかかっこいいね!」とか言ってる感じ。

 

 冒頭の飯田綾乃の歌について、石川美南は

 

強い光を放つ人に否応なく惹かれていく、危うい憧れのようなものが、繊細に描かれている。

 

と書いています。これは、おそらく、この歌の「君」は「星」=「光」で、この人が光を放つのはどこかに影があるからだと知っていながらも心惹かれる、という意味合いなのだと思いました。

 

 私だったらどう解釈するだろう、と考えていて、「ひたいの星」に引っかかって。まあ木下龍也の歌の後で読むから、禿げ頭に星が反射して光ってんのか?とか一瞬思ったんですが(笑)、なんか、「ひたいの星」で連想したのが、おゆうぎ会の「星の役」でした。私のことなんですが(笑)、キリスト教系の幼稚園に通っていたので、おゆうぎ会でいわゆる「生誕劇」をやったんですよね。もちろんヨセフとかマリアとか賢者とかその辺が主役で、その他の人は木とか星とかの役をやるわけなんですけど、私は星の役でした。額に星の冠付けてなんか踊りとか踊ったような記憶が…。だから、多分全然そういう状況じゃないんだとは思うんですが、なんか親目線でこの歌を読んでしまった。

 自分の子供が「星の役」で、「ひたいに星」を付けて踊っていて、我が子は主役ではない、でも影があるからこそ光がいるのだ、と。まあこの読み方だと「知りながら」の接続になんとなく違和感があるので、「君」=「影」と読むよりも、「君」=「光」と読む読み方の方が正しいんだろうなーとは思うんですが。

 でも、「星」なのに「光」ではない、ということもあるんだよなって(実体験から)思ったりして、色んな読み方できる歌っていいなと思いました。禿げ的な読み方もできるしね(笑)。

 

 

ボヘミアンガラスの大きな耳飾り輝きよりも自由がほしい (yuifall)