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「一首鑑賞」-262

「一首鑑賞」の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

262.お母さん、息をしてよとぴたぴたと頰を打てども息は消えたり

 (吉川宏志

 

 砂子屋書房「一首鑑賞」コーナーで山下翔が紹介していました。

sunagoya.com

『短歌と俳句の五十番勝負』を以前紹介しましたが、その中に「ぴたぴた」というお題がありました。出題者は谷川俊太郎です。

 

あわあわの喉にぴたぴたあてられてすべりつづける刃よねむくなる (穂村弘

 

穂村弘は詠んでいました(ここでは俳句は引用しません)。

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 この時私は「ぴたぴた」で足音を連想したのですが、穂村弘が全く違うものを連想していて面白いなと思ったことを覚えています。吉川宏志の「ぴたぴた」も、全く違うものでした。息絶えたお母さんの頬を叩きながら、「息をしてよ」と。その擬音に「ぴたぴた」を使っています。

 私はこの歌における「ぴたぴた」の表現を、子供っぽいというか、わざとこういう幼稚な言葉を使ったのかな、と受け止めていました。「お母さん」の前で無力な子供に戻ってしまう自分の「ぴたぴた」です。ですが、鑑賞文では全く違う受け止め方をしています。

 

たとえば水にぬれた金魚が机のうえで跳ねつつ身をよじりつつもがいている、あのときの「ぴたぴた」をおもう。力のないものが、大きな力のまえでなすすべもなくたてる音。あるいはその「大きな力」が、力のないものにむけてするしぐさのたてる音である。

 

 同じ「無力」という捉え方であっても、「母の前の私」と受け止めた私に対し、山下翔は「死の前の私」と捉えています。言われてみればそう捉えた方が正しいのかもしれない、と思いました。でも、もしかしたら二重の意味に受け取ってもいいのかもしれません。いい大人が「お母さん、息をしてよ」と言いながら「ぴたぴた」と頬を打つとき、その思いはお母さんがいないと不安で仕方なかった子供の頃の心細さと同じだと思うからです。そしてそれは同時に、死の前にもがくしかない無力さを表した「ぴたぴた」でもあるのだろう。

 

 なんか谷川俊太郎の出した「ぴたぴた」の意味がここでようやく掴めたような気がしました。この擬音に、死の匂いを嗅ぎ取るべきだったんですね。穂村弘の歌は、そこまで分かっていて、「喉に」「刃」を「あてられて」「ねむくなる」と、生と死の境目を詠んでいるんだと気づきました。そこまで計算して詠んだのか無意識なのかは分かりませんが、穂村弘のヤバさを改めて感じさせられました。そして吉川宏志も「死」と「ぴたぴた」を結びつけた歌を詠んでいて、すごい人たちはやっぱすごいんだなぁと…。

 

 

ぴたぴたと吸い付く視線Wifiのようにあなたを検知している (yuifall)

 

 

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