「一首鑑賞」の注意書きです。
213.(帰るつてどこにだらうか)コントでは手首をひねつたら部屋の中
(石川美南)
砂子屋書房「一首鑑賞」コーナーで永井祐が紹介していました。
(帰るつてどこにだらうか)から、手首をひねつたら部屋の中、の落差がすごくて、「コントでは」の一言が鮮やかです。
前半は、何となく「帰る場所なんてない私」「ここではないどこか」みたいな漠然とした寂しさのようなものを感じるのですが、後半で一気にひっくり返されます。手首を捻るだけでもう、「帰るべき場所」にいる。「どこにだろうか」「ここだよ」の答えが一瞬で出ている感じ。びっくりして、なんだかほっとします。何と言うか、一種のアイデンティティ・クライシスみたいなものが、完全に消えてなくなっているという感じ。「どこでもドア」で、「帰るべき場所」って言ってドアを開けて「ああ、ここだったか」って感じです。決めつけられちゃうの。で、まあそれでいいかって。
永井祐は、前半を
「(帰るつてどこにだらうか)」は、わたしはあまりくっきりとらなくて、なんとなく「帰るところは定まっていないかもしれない」というような浮遊した気分が置いてあるという感じかと思いました。括弧に入ってるし。
誰かが「帰る」と言って、「どこにだろう」と漠然と思った、というようにも見えます。
こう書いています。浮遊感なんですよね。で、後半で一気に地に足が着くの。「ここです」って、部屋の中に。その前半と後半を繋ぐのが、「コントでは」の一言なのがいいなって。
ちなみにこの歌には詞書とか色々あるみたいですし、ある連作の一首のようなのですが、そのあたりは永井祐の鑑賞文に書いてあるのでここでは特に触れません。
TV in the morning
2人とも帰る場所とかないくせに朝の馬鹿げたテレビを見てた (yuifall)
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