「一首鑑賞」の注意書きです。
156.テーブルを挟んでふたり釣り糸を垂らす湖底は冷たいだろう
(松村正直)
これはどきっとする歌です。最初の「テーブルを挟んでふたり」では日常の、食卓のような場所がイメージされますが、次に「釣り糸を垂らす」であれっ?となり、最後「湖底は冷たいだろう」で、そこが一気に冷え冷えとした真冬の湖に変わります。
「湖底に釣り糸を垂らす」というと、何となくワカサギ釣りのイメージです。分厚く凍った氷の上にいて、氷に穴をあけてそこから釣り糸を垂らしている感じ。実際の釣りでは防寒しっかりしていたりテントを張っていたりするんでしょうが、最初の「テーブルを挟んで」のインパクトから、氷の上でも家と同じ格好をしているような、無防備な印象を受けます。普段着のまま、真冬の湖の氷の上にいて、じっと動かずに黙ったままで釣り糸を垂らしている感じ。何かが釣れる前に二人とも凍り付いてしまうのではないかと怖くなります。
鑑賞文には
二人が釣り上げようとしているのは、会話のきっかけだろうか。もう一歩踏み込んで言えば、お互いの心を釣り上げようとしているのかもしれない。しかし、針の沈む湖底はあまりにも冷たく、凍った互いの心を解きほぐすきっかけは、釣れそうにもない。こうして湖上ならぬテーブルの上では、二人の間に沈黙の時間が流れる。
こうありました。
「ふたり釣り糸を垂らす」のだから、ふたりとも何かを釣りあげようとする努力はしているということなのかな。「僕が冷たい湖にいて、あなたの心を捉えようとしている」であれば、あなたの心が離れてしまった、と解釈できるのですが、この歌では二人とも心が遠くなってしまっていて、だけど二人とも何かを繋ぎとめようとはしているんだけどもう「冷たい」まま戻っては来ない、という印象を受けます。
とても長い時間をかけてお互ひの心情を知つたからには別る (外塚喬)
を連想しました。長い時間をかけて、もうそこには冷たい湖底しかないということが分かったというような。
文字、文字がテトリスみたいに落ちていく僕のエクスタシーのアナトミー (yuifall)
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