左右社 出版 山田航編著 「桜前線開架宣言 Born after 1970 現代短歌日本代表」 感想の注意書きです。
松村正直②
七年で六つの町に暮らしたり僕は僕から出られないまま
も、主題が繰り返されるクラシック音楽みたいに、また「僕であることから逃れたい」というテーマの反復ですよね。その中に、
デッサンのように何度も君の手に撫でられて僕の輪郭になる
っていうのが入ってきて、この人は「君」と出会って自分の輪郭を確かめられている、自分でいられる場所に出会ったのかな、と感じました。そして
「やさしい鮫」と「こわい鮫」とに区別して子の言うやさしい鮫とはイルカ
からは、家庭の存在が感じられます。
もちろん、安易なハッピーエンドだとは思ってませんが(自分のことを「かすがいになれなかった子」「離婚した親を持つ子」と描写しているし)、「いつの日か父になる日を夢に見ている」と書いていた夢が叶ったのかな、と嬉しくなりました。でも同時に、父親として家庭と向き合っていかなくちゃいけないってことが、なんだか怖いような気がしました。自分から逃げたい気持ちって、家族を得たからってそこですっぱりと終わるんだろうか。
『短歌タイムカプセル』の時にも書いたのですが、この人は書肆侃侃房出版の『ねむらない樹 別冊 現代短歌のニューウェーブとは何か?』というムック本の中で、
以前の私は、ニューウェーブの影響を受けて「私」を欠落させた歌を作っていたが、今は作品の中の確かな手触りや実感を通じて、自分の輪郭を取り戻したい
と書いています。
「私」を欠落させた歌っていうのは具体的にどういう歌なんだろうな。今まで引用してきた歌はどれも「私短歌」に近いというか、この人の気持ちとか状況が色濃く反映された歌だと感じてて、そこに共感していたので、ちょっと戸惑いました。寂しくて居場所がなかった自分も「私」だったのではないのだろうか。
ただ、その後の家族を詠った歌を見ていて、この人にとっての自分の輪郭は「君」とか「子」からくるものなのかなって思いました。「君の手に撫でられて僕の輪郭になる」だもん。逃げ出したい自分だったのが家族によって輪郭を得て、そこにいられる自分、ここにいてもいい自分になったのかなって感じます。
でもその気持ちがずっと続くものなのかは私には分かりません。自分に放浪癖があるのでそう感じるのかもしれないけど(笑)。どっか行っちゃいたい、って思わないのかな。そして今となってはもう自分の意思だけではどこへも行けないわけで、逃げ出したいって苦しい気持ちになったりしないものなんだろうか。分かりません。結婚して子供が生まれたら自分が180度変わって、自分の存在を全肯定できるなんてこと、本当にあるんだろうか。
「人間力」なんてないから置いてくるあなたを時速300kmで (yuifall)
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