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桜前線開架宣言-高木佳子 感想

左右社 出版 山田航編著 「桜前線開架宣言 Born after 1970 現代短歌日本代表」 感想の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com 

高木佳子

 

 「育児詠」ですか。でもこの人の作品は、解説にもありますけど、あんまり日常感はないですね。なんか育児をテーマにした歌って(こんなこと書いていいのだろうか…と散々悩んだが結局書く)、俵万智

 

バンザイの姿勢で眠りいる吾子よ そうだバンザイ生まれてバンザイ

 

みたいに、自分の子供が好き!生まれてきてありがとう!って芸能人の出産報告かよ、みたいな感じしちゃってあまり得意でないのですが(いや、もちろん、その真っすぐ感がいいなっていう思いも否定はしません)、この人の歌は

 

わが知らぬ世界に立てる少年に追ひつくために日傘を閉ぢむ

 

とか、

 

てのひらを子と見せあへばわれは疵 子は雪虫を握りてをりぬ

 

とか、あまり生活感が感じられず、自分と子供の間に境界線がはっきりあるような気がします。この人は自分のものじゃないって。

 

静脈の青を思はす空のもとプール開きの旗(フラッグ)は立つ

 

なんかも、「プール開き」っていったらもう多分子供は小学生なんだろうけど、そういう「ママ」感全然しないですね。

 

 そういえば小学校の夏休みのプール開放の監視員って親だったよね…。なんか、ああやってプールを見ながら「空が静脈の青だ」って思ってるママがいるって思うとときめくなー。しかし静脈の青ってことはちょっと暗い青ですね。。15歳未満というか小中学生の時の思い出って確かにちょっと昏い感じがするなー。青春未満だから冬の時代ですね。山崎聡子も

 

さようならいつかおしっこした花壇さようなら息継ぎをしないクロール

 

って詠ってましたし。

 

 昔、穂村弘の『短歌という爆弾』(小学館)という本を読んだ時、「宙(そら)の知恵の輪」という単語を使って、愛の希求の絶対性の強さが歌の優劣を規定する、というようなことが書かれていたのが印象に残っていて(直接そういう風には表現されてはいませんでしたが、明確にAグループの歌はBグループの歌よりも「優れている」という言葉を用いて歌を比較していた)。もちろん穂村弘基準で、ということなので、それに賛同するもしないもという感じですし、実際その章で引用されていた歌に関してはA>Bの評価基準がよく分からず、というか私の感性と完全には一致せず、まあそういう風に感じる人もいるんだろうなぁってくらいで3割引きくらいで読んでいたのですが、別の章で「帽子」というテーマの題詠について批評をしていて、(本に載っていたのでプロ歌人ではない方の作品も含めて引用しますが)

 

大きめの制服帽子で入園の写真見つけた もう四年生 (坂根みどり)

忘れ物ないか?名札は付けてるか?帽子かぶって。いってらっしゃい! (坂根みどり)

 

という投稿作品と、

 

夕立に帽子を濡らし帰りつくこどもは魚(うお)の匂いに充ちて (東直子)

ははそはの母の話にまじる蝉 帽子のゴムをかむのはおよし (東直子)

 

といったプロ歌人の作品を比較して、前者について

 

 愛情や善意や暖かさを肯定的に描いていて確かにいいものなんだけれども、でもそれはやはり世界の半分に過ぎないわけです。世界の半分だけしか初めから視野に置かない形で書いているということは、いくらそれが「愛情」や「善意」という一般的にはいいとされている価値観であっても、詩として見たときはもの足りなさを感じさせてしまう。

 

という講評を述べていました。そういう感覚はもしかしたら万人にあって、それで高木佳子の育児詠は詩であると感じるのかもしれません。

 

 とはいえ前述の俵万智や坂根みどりの作品を好きだと思う人もいるだろうしそれはそれでいいのではと思ってもいます…が、何でもかんでも肯定してるとぺこぱみたいになっちゃうよね(笑)。悪くないだろう!

 

 

こどもらの愛でるアオムシ正体をうすうす知りつ青菜替へをり (yuifall)

切れ切れに飛ぶ蝶を追ふ少年の軌道よ数式になるらむか (yuifall)

 

 

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