「一首鑑賞」の注意書きです。
221.いまだ日は長きに夏至の過ぎたるを繰り返し言う追われるごとく
(松村正直)
砂子屋書房「一首鑑賞」コーナーで魚村晋太郎が紹介していました。
これ、すごく分かるんですよね。。前にも似たようなこと書いたような気がするんですが、もう日が短くなるのが嫌でたまんなくて、夏至を過ぎると「ああ、これから日が短くなっちゃうのかぁ…」って若干憂鬱になります。でもまあ秋分の日まではなんとか持つんですが、それから冬至まではかなりブルーです。一方、春分の日から夏至までは、ちょっと嬉しい。だから、もしかしたら、「いまだ日は長きに夏至の過ぎたるを繰り返し言う」人は、「いまだ日は短きに冬至の過ぎたるを」喜ぶ人かもしれません。
鑑賞文では、「夏至が過ぎるとき、1年の半分が過ぎ去ろうとしている」という観点から、「成し遂げるべきことをまだ成し遂げていない」心理を読み取っています。また更に、
ただ、一首にわだかまる、焦りというか、にぶい痛みのような感覚は、また別のところからも来ているような気がする。
一首にいう夏至とは、人生の折り返し地点でもあるのではないか。
単純な暗喩ではない。長く暮れ残る夏至過ぎの空をながめているうちに、折り返し地点をすぎようとしている自分たちの生が、しみじみと意識されてきたのだ。
いまだ日は長きに、という初句には、青春との別れを覚悟しながらも、自分たちの体にまだみなぎっている若さにたいするアンバランスな感覚が正直に吐露されている。
とあります。春過ぎてこれから盛夏に差し掛かる前ですから、年代で言うと30代半ば~後半くらいでしょうか。一番無理のきく時期を過ぎ、厳しい真夏を迎えようとしている。ここでがんばらないと秋冬が辛くなる、っていう時期ですね。確かになぁと思いました。
実際は夏至が過ぎるとき、来年もまた夏至が来ることを考えたりもするのですが、人生で例えれば「来年」はありません。一生に一度の夏至が過ぎてしまった。まだ日は長い(若さは失われていない)が、追われるようだと。
人生を1年に例えるとやっぱり1月(真冬)から始まるんじゃないかと私は思っていて、新生児期から思春期までの厳しい真冬を乗り越えて青春があって、その先に働き盛りの夏があって、中高年期は実りの秋で、そしてまた冬を迎えて死ぬんだと。そう考えるといわゆるアラフォー年代が「夏至」で、死を迎えるころが「冬至」なのかなって考えさせられました。
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