「一首鑑賞」の注意書きです。
81.とても長い時間をかけてお互ひの心情を知つたからには別る
(外塚喬)
砂子屋書房「一首鑑賞」で染野太朗が紹介していた歌です。
サマセット・モームの名言に
Love is what happens to men and women who don't know each other.
愛とは、互いに相手を知らない男女の間に発生するものである。
というものがあり、まあ、身も蓋もないけどそうなのかもなあ、って思わせるような言葉です。この短歌はその裏返し的な表現ですね。だから、互いを知ったからには別れるしかないと。
一方、鑑賞文にはこうあります。
『散録』を読んでいてこの歌に行き当たったとき、ちょっとびっくりしてしまった。「別る」があまりに唐突に思えたのだ。
(中略)
でも気になる。たとえば「とても長い時間をかけてお互ひの心情を知つたから」こそ「別れない」という選択肢もあると思うのだ。その可能性をどうしても思ってしまって、僕はこの「別る」について、違和感を拭えない。
……という自分に気づいて僕はちょっと怖くなってしまったのだ。人の行動とか気持ちの流れを、自分の常識内で理解しようとしている自分に気づいた、というか。
と書いています。
つまり、長い時間をかけてお互いの心情を知る→別れる、が順接なのか、逆説なのか、ということかなぁと。「とても長い時間をかけてお互ひの心情を知つたから」こそ「別れない」という選択肢もあると思う、「別る」に違和感がある、と感じる、ということは、裏を返せば「とても長い時間をかけてお互ひの心情を知つた」“けれども”「別れる」、という方が自然ではないか、という解釈になります。
しかし、「別れない」んだったら、わざわざ「とても長い時間をかけてお互いの心情を知った」って書く(あるいは、そもそもそんな風に感じたり考えたりする)必要がない気がする。敢えて「とても長い時間をかけてお互いの心情を知った」と書くからには、やっぱり「別れる」しかない、それが最も素直な順接だなって思います。
前にも書いたような気がするんですが、ジュンパ・ラヒリの『停電の夜に』という短編集の『セクシー』という小説に、「セクシーってどういうことなの」って聞かれて「知らない人を好きになること」って答えるシーンがあって、それがとても心に残ってて。結局人は知らない人を好きになるのかな、って思ったんですよね。ずっと好きでいるということは、相手をまだ知らない、もっと知りたいという気持ちをずっと持ち続けることなのかなぁ、と。
本当は、どれだけ時間をかけてもお互いの心情を知り尽くすことはないのかもしれない。でも、「知り尽くしてしまった」と感じるというのはすなわち、もうお互いに相手に対してこれ以上の思いを抱く余地がないと気づいてしまった時なのかもしれません。
知っていき分からなくなり saudade 夕日は波に洗われてゆく (yuifall)