山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
千葉聡
びしょ濡れの鉛筆で書いた線のよう 寝ころんだまま空を蹴る脚
『短歌タイムカプセル』『現代短歌最前線』でも紹介したのですが、小説っぽい連作で、色んなキャラが出てきます。全体的に行き止まりの青春って感じの歌が多くて、その先は死ぬかつまんない大人になるかしかないって分かってる若者たちのぎりぎりの青春という雰囲気があります。
この人自身は東京学芸大学教育学部卒業、國學院大學大学院文学研究科博士課程満期退学とのことなので高学歴ですが、出てくるキャラはみんな高校中退or高卒で夢を追ってるっぽい感じです。本当の友達との出来事なんだろうか、それとも完全な創作なんだろうか、って時々考えます。
歌を読んでいると、こんな感じで人間を文字に喩えるような歌が多いなって思います。「「さみしさ」の「さ」と「さ」の距離のままの僕たち」とか「明日消えてゆく詩のように抱き合った」とか。この歌も青春の爽やかさとか挫折が鮮やかに切り取られてるなって思うけど、「びしょ濡れの鉛筆」だったら空が破けてしまうんじゃないか、みたいなこわさもあります。どこに寝ころんでいるんだろう。もしかしたら連作を読めば分かるのかもしれませんが、なんとなく学校の屋上かなって思いました。空に近い気がするから。
君のいない日々 日々何も書かれない手帳 手帳も捨てられない僕
これ、『ぼくの短歌ノート』で紹介した枡野浩一の
好きだった雨、雨だったあのころの日々、あのころの日々だった君
と作りが似てますね。枡野浩一の歌は圧縮すると「好きだった君」になるんだー、と思いましたが、千葉聡の方は「君がいない僕」なのかな。
「ごめんね」が言えない二人 ため息を静止画にしてコンサートへ行く
胸が痛むほどの若さです。この人の青春の歌、どれもほんとヴィヴィッドだなって思います。
「好きな歌」はあっても「好きな歌人」は誰かってあまり考えないのですが、もし聞かれたら千葉聡って答えるかもしれません。他にも好きって思う歌人はいっぱいいるんですが、どうしてかな…。若い頃に憧れたからかもな。
ところで、土曜日に雑誌『ねむらない樹』の感想を載せていますが、同じ雑誌に千葉聡の最近の歌が載っていました。
二十代のころ「ゴミ置き場でビンを叩いて音階をつくるドレミファソラに新月」と詠んだ。
鉄柵を叩けばドレミは鳴るけれどもっと遠くにある 空も詩も
「ちばさとは大人代表みたいな顔するからキライ」とつぶやくトモロウ
コロナ自粛二カ月になればあの夏はもう二度となく、もうどこにもなく
などが載っていました(連作「トモロウ」)。今でも『現代短歌最前線』の頃と変わらないスタイル、変わらないトーンで歌が詠まれていることに何だか泣きたくなるほどぐっと来ました。
恋になる前の火花の数のこと生涯きみと語り合わない (yuifall)
短歌タイムカプセル-千葉聡 感想 - いろいろ感想を書いてみるブログ
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