山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
兵庫ユカ
砂時計打ち砕いたら砂まみれわたしがいてもいい場所はない
正しいね正しいねってそれぞれの地図を広げて見ているふたり
多分こういう気持ちってみんな持ってるんだろうな。どこにいても「ここは私の居場所じゃない」って感じる若いころの不全感と、でももういるんだから仕方ねえじゃん、って思う大人としての開き直りと、両方が混じり合う気持ちになります。
私はもう「大人は分かってくれない」の「大人」の方だなって時々思う。その鈍感さこそが大人として生きることの強さだとも思うし。センシティブな自分ってもはや鬱陶しい存在です。でも誰もがそれを後生大事に抱えていたりしてさ。解説には
最初からすべてを諦めているような自己不全感と、自分の居場所がどこにもないように感じる自己疎外感。「すきなだけではだめだった」「わたしではないひとになることができない」と、やわらかな表現でぐさりと突き刺してくる鋭い言葉のナイフ。現代を生きるということはこのような感覚との戦いであると言ってもいいくらいである。「正しいね正しいね」と空々しいことを言い合うふたりの様子からみえてくるのは、既存の価値観が崩壊して「正しさ」すらも相対化された世界の空虚さである。
とあります。だけど、「正しさ」って本来は相対的なものだし、ここで言う「既存の価値観」って何なんだろうか。おそらく「既存の価値観」の「崩壊」を憂いているのって、既得権益をお持ちの方々だけなんだと思うんですよね。本当は「正しさ」って相対的なものなのに、それをずっと押し付けられてきたんだよ。この人の歌からは「誰かの「正しさ」から疎外されている自分」という空気を感じます。
自転車を盗まれたことないひとの語彙CDがくるくる回る
この歌、「自転車を盗まれたことないひとの語彙CD」が回っているのかと思っていたら、「自転車を盗まれたことないひとの語彙」と「CDがくるくる回る」は「論理的な接続性は一切ない」と書いてあって、そうなのかーって思った(笑)。CDがくるくる回ってて、そこから流れてくる言葉は全部「自転車を盗まれたことないひと」のしゃべりそうな言葉だなーみたいな歌かと思ってた(笑)。
自転車を盗まれたことのない人といえば、自転車をお持ちでないとか(大学時代の友達で、生まれも育ちも大都会で自転車乗ったことないってお嬢様がいました)、超用心深い性格とか(めっちゃでかく名前書いてて鍵3個つけてるとか、自転車を分解して持ち歩いてるとか)、自転車が盗まれにくいやつとか(巨大な子乗せ自転車みたいな)、そういう感じの人を想像した。
七月の心臓としてアボカドの種がちいさなカップで光る
この歌かわいいなー。全体的にこの人の歌はちょっと「重い」ですね。人生にマジな感じです。こういうの、自分の中に共感できるものがあればあるほど、すごく好きにもなりそうだし、逆に直視できない辛さも抱きそうです。自分の重さや真剣さと向き合わされるから。
わたしだけなのにどうして「開」押すの嫌だよ濡れてる傘が邪魔だし (yuifall)
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