山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
小池純代
おもひでは芯もつごとし手のなかにかならずのこる人やその芯
人がいなくなっても「おもひで」には「芯」があって「手のなかにかならずのこる」のか。森博嗣の何かの小説に「人が死ぬとどうして悲しいのか」「思考が失われるから」みたいな会話があったような気がするのですが、死んだ後botが残る場合って思考は失われてるんだろうか。人っていなくなるんだろうか。本当にそこに残る「芯」が人の本質なんだろうか。
どうしても、「おもひで」に象徴される「芯」って、鉛筆の芯ではなくて林檎の芯な感じがするんです。そこに種とか大事なものが詰まってるのは分かるんだけど、食べられないの。愛するのは「実」の方だよね。多分それは本質ではないのかもしれないけど、どうしても芯だけを愛していくことってできないんじゃないかなって。
わたくしがわたくし宛に出す封書ふたたびひらくことのなき河
解説には
「わたくし」という存在への懐疑は小池の歌世界すべてを覆っている大問題であるようだ。
とあり、また、
そして小池の歌に特徴的なのが、抒情の質が決してウェットではないことである。かなしみを歌っていてもどこか乾いている。小池の「言葉遊び」については実は「笑い」がかなり重要な意味を占めている。
とも書かれています。確かに、
うつくしう嘘をつくなう 唄ふなう うい奴ぢや さう 裏梅(うらうめ)のやう
なんて、完全に言葉遊びって感じです。「わたくし宛に出す封書」と「うつくしう嘘をつくなう」が両立するのが面白いですね。駄洒落とか回文とか落語とか好きなのかなー。
こういうの読んでると、私の「言葉好き度」なんてまだまだ序の口だなっていつも思う(笑)。あとラップのリリック書ける人もすごいなっていっつも思ってます。『腐女子のつづ井さん』(つづ井)で友達同士でラップバトルしてた回面白かったです(笑)。皆様もお試しあれ♡
西日とか斯く四面楚歌赤々と羽化するルナ蛾いかなることか (yuifall)