左右社 出版 山田航編著 「桜前線開架宣言 Born after 1970 現代短歌日本代表」 感想の注意書きです。
兵庫ユカ②
この人の歌と解説を読んでいて、「痛み」ということについて考えました。
でもこれはわたしの喉だ赤いけど痛いかどうかはじぶんで決める
というものがあり、確かにこの言葉にはすごく力強いメッセージ性がありますよね。解説にも、
自分の感じた痛みや辛さに対して、随分とポジティブになれた気がする。
と書いてあります。
これはすごく、分かる、って思う気持ちと、でも分からない、って思う気持ちがあって、自分でも今整理ができていない感じがする。
分かる、っていうのは、同じことが起きても人によって感じ方とか受け止め方って全然違うし
(斉藤斎藤の
こういうひとも長渕剛を聴くのかと勉強になるすごい音漏れ
っていう短歌とか面白かった)、
別に痛がらなくてもいいんだよな、って思うポジティブな気持ち。
で、分からない、って思うのは、自分で決めるよりも前にもう痛いじゃん、って思う気持ちもある。
それから、この人は「痛み」について良悪を論じてはいないので、じぶんで決めた結果やっぱ「痛い」ってこともあるんだろうなと。実際痛いっていうのは悪いことばっかじゃないし。痛みを感じないとそこから腐っていくし。それを言ったら、じゃあ痛くなくて腐って死んだら駄目なのか?ってことになっちゃうんだけど。。
それを含めて、
「痛い」→辛いけど治したい(or治さないで辛いままいたい)
「痛くない」→べつにそのままでいい
という選択は自分次第ということなのかな。
まあおそらくこれは「あー、こんなに喉が赤かったら痛いでしょう」≒「あー、こんな状況だったらあなた今辛いでしょう」に対して、勝手に決めつけんな!っていうことなんだと理解はしているのですが。でもやっぱり、痛みや辛さは自分でコントロールできるものだけじゃないんじゃ、っていう気持ちもあります。
喉の痛みといえば、
症状を用紙に記す「できるだけ詳しく」って、この二行の幅に?
幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。
という文章があり、「幸福の形はいつも同じだが、不幸の形はそれぞれ違う」と解釈されていますが、実は不幸だってどれも似たようなもので、おおむね二行の幅に収まっちゃうんだよね。自分の不幸ってめちゃくちゃ語りたくなるけど、他人にとっては結局二行に要約できる内容にすぎないんだろうなって思いました。
触れないで、揺らさないでね、ホールケーキ持ってるみたいに生きていくから (yuifall)
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