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S2x18;BORN THIS WAY 感想

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 この回は大好きでもあるんですが、自分の中で解釈が定まってなくて困惑しているところもある。まあ、パフォーマンスはどれも大好きです!最後の「Born This Way」は最高すぎやし、その前の「As If We Never Said Good Bye」も、「Somewhere Only We Know」も、「I Feel Pretty/ Unpretty」も「I've Gotta Be Me」も、歌ってはないけど「Barbra Streisand」も全てが最高です。

 

 カートが戻ることになったくだりの色々、前回のサンタナのあれは伏線だったのか…。サンタナとカロフスキーの似合わなさよ、っていうか全然お互いを好きじゃなさそうな演技がうますぎ(笑)。ブリトニーに「キモいよ」とか言われてるし。カートはよくカロフスキーと「LGBTQ友の会(みたいなやつ)」やろうと思うよなー。私なら一切関わりたくないけど…。優しいんだな。「きみは知らなきゃないよ」って。サンタナの指摘も笑える。議員がトイレで男を襲って捕まったのって実際あった事件みたいですが今ソースがないです。

 でもここ、正直深く考えさせられたよ。若い頃って、同性愛者が自分を偽るって言ったら、とりあえず学生時代を異性愛者っぽくしてやり過ごして結婚して子供を持って、くらいがゴールだと考えちゃいそうだけど、実際はその後に50年の人生が待ってるわけで。結婚生活とか子育てって楽じゃないし、それを自分を偽って家族を欺いたまま50年は長くて辛いよ…。

 S6に出てくるウォルターはカートに「きみくらいの子供がいて、カミングアウトしたのは最近」って言ってたけど、同性愛者を隠して結婚したなら子供が成人するまで隠しきって育てて、パートナーに全てを渡して別れるくらいの決意がないと駄目なのかなと考えてしまいました。そんな人生しんどいよなぁ…。ウォルターは自分に正直になれた時はもう50歳を超えてるんだよね。。時代的なことで今よりはるかに厳しかったんだろうし…。

 

 「Somewhere Only We Know」せつなかった。ブレイン、今までパフォーマンスの時はずっと楽しそうだったので、あの寂しそうな表情と歌に胸がぎゅっとした。「When I Get You Alone」とか「Silly Love Songs」の時ですら楽しそうだったのに、何だか、恋を知って無邪気さを失ってしまったのかなってすごく切なくなりました。

 あの時はカートをフィンが受け止めてやって、これからは兄として守るよ、って頼もしくて嬉しかった。フィンの笑顔が素敵だった。メルセデスとの親友感も萌えたよー。ブレインには「さよならなんか言わないよ」って。学校変わっても彼氏だもんね、放課後会えるよ。

 この時、野外だからかそれともカートの転校が寂しいのか、ブレインがずっと目を細めるようにして歌ってて、glee liveの時のカートの「きみは歌う時目を細めるよね」、ってメッセージを思い出したわ…。よく見てんだなー(笑)。

 

 カートが帰ってきて歌う、「As If We Never Said Good Bye」いいですね!ミュージカルを知らないのですが、これってフルコーラスですか?カートってすごい才能だわ。聴き入ってしまった。この曲についてはいいレビューがたくさんあるし、私があえて語らなくてもみんな分かってるよね、って感じがしてます。うまく言葉にできないわ。

 あとは「Barbra Streisand」のフラッシュモブ大好き♡カートがレイチェルに「バーブラがいるわけないだろ。ここはオハイオのショッピングモールだよ?」とか言うのも面白い(笑)。

 

 クインとレイチェルの歌よかったんだけど意味がうまく読み取れなくて、結局クインは自分を綺麗だと思ってるのかな。思ってないのかな。外見が美しいのは自他共に認めるところだろうけど、それを肯定的に受け止めてるのかそうじゃないのかがいまいち分らんかった。

 Born This Wayについても、結局よく分かんなかったんだけど、自分を全て受け入れなくちゃないの?変えたいと思っちゃだめ?クインは努力して、整形して、あれだけ変わって人気者になって、それを否定する気にはなれないんだよね。偽物だとかさ。整形したってみんながみんなクインみたいにタフで自信家でsuperhotな女子高生になれるわけじゃないじゃん。そもそも30㎏も痩せられないし…。その後太めの子たちに憧れられる場面もあったりして、クインのしたことは作品内でも肯定的に受け止められてる気がする。

 一方で、レイチェルの整形についてはみんなが否定的だよね。まあ確かに、クインみたいになりたい、っていうのはすごくひっかかる。フィンの彼女で美人で憧れてるっていうのは分かっても、クインみたいに(他の誰かみたいに)なるのはあなたじゃないんじゃないの?みたいなさ…。

 でもレイチェルは自分の全てをありのままに受け入れて愛さなきゃないの?ティナのカラコンだって、時々おしゃれで目の色を変えるのは自分が好きじゃないってことなの?フィンはダンスが上手じゃない(いや、私の100倍うまいけどね!)ってことを受け入れて練習してるけど、それはどうなの?努力で変えられることは変えていいの?ってか努力で変えられることと変えられないことの線引きって何だ?歌えないとか踊れないとかバカとか態度でかいとか、それって変えようと思えば変えられることではないのか?それとも分かってるけど変えたくない自分なの?しかも別にどうでもいいっていうのもあるよね。例えば私はどんなにがんばったってダンサーにはなれないですし、「CAN'T DANCE」だけど、それが別に…ってとこあるし。何か、Tシャツに書かれた内容が人によって深刻さの程度とか変えようのなさの程度が違いすぎて、ちょっとどう捉えていいのか分からんかった。

 その中でカートの「LIKES BOYS」はやっぱり、変えようのない部分なわけで、この人がまさにセンターだなって感じましたが、この辺もよく分かんなくて。多分、もともとgleeの初期メンバーって、マイノリティにスポットを当てるというか、メルセデスは黒人で、アーティは車椅子で、ティナはアジア人のゴスロリで吃音で、カートはゲイで、レイチェルはウザくて、ってところから始まってると思うんですけど、この回ではカートの「ゲイ」だけが「変えられない自分」としてピックアップされてて、メルセデスとかアーティは特にその点を強調してきてはないじゃないですか。

 「NO WAVES」は巻くかエクステすりゃいいし、眼鏡はコンタクトにすりゃいいし、茶色の目だってカラコン入れりゃいいし(これはマイノリティという文脈での「アジア人」って意味なの?それなら変えられないけど、時と場所によってはマイノリティでなくなるシーンはある)、鼻は整形できるし、態度だのダンスだの歌だのバカだのはどうにかなるし、どれも「変えられない自分」なのかなぁ?って。クインの「LUCY」は変えられないけどまあ言ってみれば過去のことだし。あとはやっぱりエマ先生の「OCD」かな。。治療すれば変えられるのかな?あと口でかいとかケツアゴも変えようがないか(笑)。いや整形で変えられるのか??このパフォーマンスを「レバノン人」のTシャツ着たサンタナとカロフスキーがじっと見てるのがまた切ないわ。

 

 だけどこういうのって、本当に自分のアイデンティティなのかって考えるとすごく揺らぐよね。カートはS3まではオハイオでかなり尖ったキャラだったけど、S4以降はNYでむしろちょっと他の人より保守的な感じになってて、確かにゲイはマイノリティだけどNYではオハイオほどは目立った存在じゃないし、カートはごく自然に自分のセクシャリティを明らかにしてる。S4では「僕の元カレが」みたいな発言よくしてるし。もしかしたらS4以降のカートはTシャツに同じ言葉は書かないかもしれない。だって私だって自分のTシャツに「異性愛者」とは書かないし、本来であれば同性愛者であることをアイデンティティの根幹と考えなきゃならないこと自体がおかしいのかもしれないもん。人間を性愛の対象(あるいは生殖能力の有無)で分類するのはおかしいと思うし、まあよしんば分類するシーンがあったとしてもそれはアイデンティティの芯の部分だろうか。「LIKES BOYS」をTシャツに書かなくてもいい時代、いい環境は必ずあると思うんだよね。絶対的なものじゃないと思う。

 例えばレイチェルのパパは2人ともゲイで、若いころは多分色んな葛藤があったんだと思うしこの時点でも合法的に結婚はできてないんだろうけど、娘を高校生まで育てたカップルが果たして自分のアイデンティティの根幹に「ゲイ」を挙げるだろうか?

 私だって今自分の変えられない(嫌な?)特徴って何だろうって思った時にまあ性格的な面とか挙げるかもだけど、もしアメリカにいたら「日本人」とか「英語できない」になるかもしれない。多分高校生の頃は全然違ってたと思うし。忘れたけど。ティナだってアジアにいたら、「茶色の目」とは言わない気がする。パックもブリトニーも最後は↓も↑もバカじゃなくなるし、クインはすでにルーシーじゃない。レイチェルだって年を取れば鼻なんてどうでもよくなるかも。自分がこうだって信じてる自分やこうだってこだわってる自分って実はすごく曖昧な存在なんじゃないか、環境や状況や時間によってどうにでも左右されるんじゃないかと思いました。

 だから、「こう生まれた」というよりも、「現時点でこの環境において自分はこういう点で大多数の人とは異なって(劣って?)いるけどそれを受け入れる」っていう主張なのかな。これはgleeが発してるメッセージとは多分真逆の解釈なんだろうけど、本当は自分が信じてるBorn This Wayなんて時と場合によって変わりうる非常に曖昧なものなのかもしれないし、現状、無理に受け入れる必要も否定する必要もないのかもしれないと感じています。まあ、その時と場合によってはその自分でいることが不便、ということはありうるけど…。でも「(努力で)変えられる」ってこともあるし、または「変えられない(から嫌だ)」が「変えられない(けどまあいっか)」になるってことは大いにありうるよね。

 一体何が自分を自分たらしめていて、他者と区別し、「個性」を形成しているのか?Minorであれば個性と言えるのか?まぁそれを意識せずに過ごせるということがMajorityであるということなのかもしれませんが。

 まあ所詮は自我なんてスライムみたいなもんで、ほっとくとどこまでもでろっと肥大してしまうから思春期に自分なりの容器を作らなきゃなくて、その後は固まって渇いて干からびていくだけって感じもしますね。。

 

 追記ですけど、やっぱりこの回については放送当時の時代感が分かってないと語りにくいのかもしれません。カートが「ゲイ」をアイデンティティとするキャラクターとしてブレイクスルーが生じたからこそ、その後に出てくるTVキャラクターは「ゲイ」をアイデンティティの主体にする必要がなくなったのかも。大きく意識が変わった時代の中心だったのかもしれないですね。

 

 ところで疑問なのは、なんで「LIKES BOYS」なの?主語が「HE」ってこと?「I」だったら「LIKE BOYS」だよね?分かりません!

 

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