「一首鑑賞」の注意書きです。
383.もうここにおられんようになりました妻うらがえりうらがえり消ゆ
(東直子)
砂子屋書房「一首鑑賞」コーナーで石川美南が紹介していました。
石川美南が紹介しているのですが石川美南の歌かと思ったよ。東直子でした。「鶴の恩返し」みたいな想像をさせる歌ですが、「ふりかえりふりかえり」ではなく「うらがえりうらがえり」なので、どういう存在なのだ。特定の正解があるというわけではないのかもしれませんが、「うらがえる」という言葉からは何となく内面が剥き出しになるというか、内臓的なものが外に露出している感じを受けます。鑑賞文には
「うらがえりうらがえり消」えていった妻の正体は、一体何だったのだろう。身のこなしが素早くて掴みどころのない、人ではないもの。はっきりと正体が明かされていない分、想像の広がる余地があって楽しい。けれども、「おられんようになりました」という方言には、妻だったものの生々しい「肉声」を感じる(本当ハ、ズット貴方の傍ニ居タカッタノニ)。
とあります。ああ、確かに、「おられんようになりました」が一番生々しいかもしれません。うん。リアリティがあるというか。この重みの付け方がうまいんだろうなぁ。
鑑賞文の中では、東直子の詠む「お別れ」の歌がいくつか引用されていて、それもじんわり心に残りました。東直子の歌って何度読んでもよく分からないのですがよく分からないまま好きです。よく分からないのにリアリティがある歌って普通作れないのですごいなといつも思います。
プラクティカルである寂しさの半分は命と紙幣の哲学にある (yuifall)
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