「一首鑑賞」の注意書きです。
369.雲を雲と呼びて止まりし友よりも自転車一台分先にゐる
(澤村斉美)
砂子屋書房「一首鑑賞」コーナーで吉野裕之が紹介していました。
「若くなければつくれない一首」と吉野裕之は書いています。「雲を雲と呼んで」立ち止まる贅沢な時間も、友達と自転車で走ることも。でもそれだけではなく、
友とふたりで、おしゃべりでもしながら、ゆっくりと自転車を走らせているのだろうか。友は、雲を雲と呼んで止まった。〈私〉は、すこし遅れて止まる。ちょうど「友よりも自転車一台分先にゐる」〈私〉。たったそれだけのこと。そう、たったそれだけの。
しかし、それだけのことは、このときだけのもの。「自転車一台分先にゐる」ことを、つまらない言い方になるが、能力や成功といった判断とは関わりなく受け取ることができる時期は、つまりことばにできる時期は、けっして長くはない。そして、雲を雲と呼べるのも。
ああ、そうか、と思いました。主人公は高校生か大学生くらいなのかもしれない。友達との間にはそれほど大きな格差はないのかもしれない。でもこれから否応なしに隔たっていくんですね。就職や結婚、健康状態などによって。
もちろん友達と会う時相手の社会的状況によって態度を変えたりはしないけど、そうじゃなく、例えば“自分は落伍者だ”という意識から人間関係を切ってしまったりということはあり得ると思う。昔の自分を知る人に会いたくないとか。私自身様々な状況の友達がいて、会って遊ぶとき相手より「(どのくらい)先にゐる」かどうかなんてことは考えないけど、もしかしたらこういうことを考えずに済む人としかもう会えないのかもしれないとも思いました。
そういえば以前感想を書いた
からだの中の柊を見てゐるやうな君のまなざし 逢ひたいと言ふ
について、
ここでは
(歌集は)不思議な一冊だと思う。〈私〉は立ち上がってくるのに、それ以外のもの/ことがなんだかとても掴みにくいのだ。「逆光の鴉のからだがくつきりと見えた日、君を夏空と呼ぶ」「からだの中の柊を見てゐるやうな君のまなざし 逢ひたいと言ふ」といった佳作も、しかし「君」の姿は見えない。
澤村斉美は、世界とそんな関係を結んでいるのだろう。「弟の寂しさとわれの寂しさと 雪と霙のやうに違へり」。それが、「われの寂しさ」なのだろうか。聡明さは、痛みを生む。
と書かれていました。一首で読めば佳作なのに歌集として読むと掴みにくい世界ということでしょうか。もしかしたら、私はどちらかというとそういうものの方が好きかもしれないです。
自転車を止めてあなたが振り返るそこにしかないような目の空 (yuifall)
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