「一首鑑賞」の注意書きです。
322.やや重いピアスして逢う(外される)ずっと遠くで澄んでいく水
(野口あや子)
砂子屋書房「一首鑑賞」コーナーで大松達知が紹介していました。
透明感のあるセクシーさ、なのかな。
「やや重いピアス」という言葉で自己主張の強いファッションを連想しました。会う相手が男性かどうかはよく分かりませんが、おそらくはあまり男性に好まれないタイプの服装や雰囲気なんじゃないかな。媚びない女です。でもベッドの上でそのピアスを「(外される)」。誰かにピアスを外してもらったことなんてあっただろうか、と思う。ここには何らかの媚びを感じます。鎧を外すことさえもあなたの手に委ねてしまうというような。これは相手に対する媚びなんだろうか。それとも自分に対する演技なんだろうか。その時、ずっと遠くで水が澄んでいく。
鑑賞文にはこうありました。
「遠くで澄んでいく水」とは、処女性の象徴かもしれない。自分の中の水が汚されてゆくのと反比例するように、遠くの水は澄んでいく。水が循環してゆくイメージもある。
自分の中の水は、「汚される」のだろうか。セックスで私は汚れるのだろうか。そうじゃないんじゃないかな、と思いましたが、でも分かりません。この一首だけでは主人公と相手の関係が分からないから。でも私はこの相手は恋人と読みたいなぁと思った。無難なスタッドピアスでも華奢なロングピアスでもなく「やや重いピアス」には私が愛する私を愛して欲しいというメッセージ性を感じるし、それを外されて素の自分が剥き出しになった後に水が「澄んでいく」のは、そこに愛があると信じているからではないのだろうか。
野口あや子の作品を読むのにこの読み方はナイーブすぎますかね。
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