左右社 出版 山田航編著 「桜前線開架宣言 Born after 1970 現代短歌日本代表」 感想の注意書きです。
野口あや子
ああ、「影響を受けた作家は山田詠美、金原ひとみ」っての、すごい分かる作風ですね。山田詠美と江國香織はローティーンの頃バイブルだったな…。そしてこの空気感は、当時のティーンじゃないと出せないな。今描こうとするとめちゃくちゃ嘘っぽくなるもん。
そこそこに頭の回るひとの意見に「モテないけどね」を付けたして、殺る
なんて、『僕は勉強ができない』(山田詠美)思い出したよ…。イケてないないなら死ぬ方がマシな世界観ですよ…。加藤千恵とは全然違う世界の女子高生ですよ。
学歴は二の次にして腕力でモテるひとたち 獅子(ライオン)、カムヒア
もさ…。ヤンキーの世界や…。確かに解説でも言う通り、あんまり短歌で見たことのない世界観かもしれません。解説には
野口あや子という歌人の貴重な資質は、「地方都市のヤンキー層の女性」という文化的背景を抱えたまま、そういった層の「言葉にならない言葉」をすくい上げることに成功していることだろう。それは「東京のインテリ層の男性」という、社会的に特権を持っているポジションの者から見れば眉をひそめるようなものも少なくないかもしれない。しかし、ぺらぺらと流暢に話す強者の言葉など、文化は一切必要としていない。真に強い言葉とは、たとえば野口あや子の短歌のようなものだ。
と書かれています。
うーん、前半には同意するが、後半には納得しかねるな…。確かに「ヤンキー層の女性」は文学として何かを発信することは「インテリ層の男性」よりも少ないだろうから、そういった層の言葉を短歌として表出していることに意味がある、というのは深く納得する。その一方で、「野口あや子の言葉」と「東京のインテリ層男性の言葉」を比較して後者をディスる意味はよく分からん。確かに後者の方が言葉が流暢で意見として強くなりがちだから傾斜をかけて見る必要があるというのは分かるけど、それを「文化は一切必要としていない」と断罪するのは、ちょっと僻みっぽいなーって正直感じちゃいます。
そういえば、岡井隆の詩歌集で
『ヘイ龍(ドラゴン)カム・ヒアといふ声がする(まつ暗だぜつていふ声が添ふ)』
ってありますけど、野口あや子の歌は本歌取りなのかな?関係ないのかな?まあ経歴からすると関係なさそうな感じしますけど…。
岡井隆なんて「インテリ層の男性」そのものだと思いますけどね(笑)。歌人で医者でしょ?
灰皿にねじ込まれてるセブンスターそこだけ黒い毛を吐くわたし (yuifall)
ブレザーのまま教室でヤッたよね こわくも (全然) よくもなかった (yuifall)
桜前線開架宣言-野口あや子 感想2 - いろいろ感想を書いてみるブログ