「一首鑑賞」の注意書きです。
305.前髪をしんと切りそろえる鋏なつかしいこれは雪の気配だ
(服部真里子)
砂子屋書房「一首鑑賞」コーナーで山下翔が紹介していました。
髪を切る時の音が好きです。それが耳元で蘇ってくるような歌だなと思いました。「しゃきん」って。「雪の気配」と言われてしまうと、ああ、そうだなあって思うのですが、どうしてこんなに納得してしまうのかうまく説明できません。
以前、木下龍也の
都会にもあるけど帰りたくなるよ金木犀が写メで届いて
を取り上げて、どうしようもなく懐かしい感じ、と思ったのですが、
今回はダイレクトに「なつかしい」という言葉が入っています。
個人的に、いつも1記事について1首の短歌を作る試みをしていて、この時感情を表す言葉をダイレクトに入れない方がいいのかなぁって悩みながら作ったので、次にこの歌と出会って拍子抜けしました。「なつかしい」って言っちゃっていいんだ、って。
こういう時、分からなくなります。私はこの歌をいいなあって思ったから引用しようと思ったのですが、これって「うまい」歌なのか、そうでもないのか。分からない。もし誰か短歌に精通した偉い人が「これはうまい歌ではないね」と言ったとしても、私がこの歌を好きな気持ちに変わりはないと思うんですが、この歌の「うまさ」あるいは「うまくなさ」について知りたいとは思う。
鑑賞文には
三句で切れて、「雪の気配だ」ととらえなおすまえの隙間に、すっとさしはさまれた「なつかしい」という直感。それを足がかりにするようにして、たぐりよせられる「雪の気配」その場面。ふたつの場面がここに交錯するのを、ふたつのものへ隔てていく鋏が仲立ちしている。
とあります。つまり、「鋏」と「冬の気配」の間に挟まれる「直感」としての感情だから、ここでは必要な言葉と言えるのかもしれない。私は、この「なつかしい」に、木下龍也の歌とは違う「なつかしさ」を感じました。「金木犀~」のものを郷愁だとすると、これはデジャヴです。「あっ、これ、知ってる」って思うその一瞬を切り取った感じ。違ってるかもしれないのですが、そういうある種普遍的な「なつかしさ」に共感を勝手におぼえる歌でした。
一本の花茎に鋏撓みゆくその手ごたえを我は恐るる (yuifall)
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