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「一首鑑賞」-89

「一首鑑賞」の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

89. プラスチックストロー廃止のニュースありスタバが世界を牽きゆくように

 (浜名理香)

 

 砂子屋書房「一首鑑賞」で染野太朗が紹介していた歌です。

sunagoya.com

 この歌に引っかかったのは、これ、いつのことだろう?と思ったからです。ページに入ってみると、引用元に(「うた新聞」2018年9月号)とありました。2018年かぁ。それから現在までの間にレジ袋が有料化され、ストローはたいてい紙になり、コンビニコーヒーカップや蓋なども紙になりました。

 

 この歌は、「雨水溝清掃一ヶ月」という連作の一首だそうです。雨水溝清掃からなぜスタバ?と思ったのですが、

 

雨水溝の汚泥ぶ厚く火ばさみが引き出すレジ袋またもレジ袋

 

などという歌が連作には含まれるそうで、

 

「レジ袋」がいくつも捨てられていてそれを取り除く作業をしながら連想された歌、として読める。

 

と鑑賞文にはありました。

 

 この歌、というよりも、プラスチックストロー廃止的なものに対する自分のスタンスを決めかねている状態です。最初「エコバッグ」とか言われ始めてレジ袋が有料化されたのはいつだったか具体的には覚えていませんが、お店によってはこの歌の10年前、2008年頃にはすでにそうだったような気がします。エコバッグ持ち歩いてたもん。でも、それは私が環境に意識高かったからじゃなくて2円とか取られるのが面倒だったからで、しかもエコバッグを使うために肉や魚のパックを小分けのビニール袋でいちいち包むようになって、これのどこがエコだかは分からんなー、って思っていたことは覚えてる。

 レジ袋とかストローとかほんと草の根だな、もっと大規模にできることあるんじゃないの?って思う反面、過剰包装にはうんざりだし、持ち歩きじゃなくてお店で飲む時、酒にはストローつかないのにソフトドリンクだとストローつけるのもどうかと思ってたし(正直、未就学児とかコップが持ちにくい人以外はストローなんていらんだろと思う)、必要ないものは減らすべき、とは思います。

 だけど、じゃあ紙だったらエコなのか?とか、日本みたいに電力を原発と火力に依存している国が脱炭素ってどうすんの?とか、車だってこれからは電気自動車!とか言ってるけど電気ってどうやって調達すんの?結局火力だったら意味なくね?とかも思うし、分からん。

 

 この歌は、多分、「スタバ」というブランドイメージと相まって、皮肉として読まれることの方が多いんじゃないかなという気がする。スタバで電源取ってノマドワーカーしてる小金持ちで意識高い系の人たちが「プラスチックは悪!SDGs!私たちが最先端!」とか言ってる感じというか。

 だけど、本当に、皮肉の意図で詠んだ歌なのかなぁ、っていうのはちょっと疑問です。この人は雨水溝清掃をしているわけで、泥にまみれた「レジ袋」をいくつもいくつも拾っているんですよね。そこでこの歌というのは、いずれ道端で、あるいは海で、投棄されたプラスチックごみをこうして拾うこともなくなるんじゃないか、という願いにも思えます。

 実際に手を汚して雨水溝清掃をしている人vs実際には手を汚さず、スタバでコーヒー飲みながらSDGsについて語っている人、という対立構造を読むことは可能ですが、本当にそんな安易な二項対立なんだろうか、って思うんです。だって、雨水溝清掃とスタバは相互排他的な概念ではありません。雨水溝清掃をする人がスタバでゆっくりすることもあるんじゃないのかなぁ。むしろそういうボランティア精神の高い人が企業理念に共感してスタバに行くのかもしれない。

 

 以前はどこででも吸えていた煙草が今ではそうじゃないし、アスベストだって建築物には使えなくなったし、体温計にはもう水銀は入ってません。今は信じられないと思っても、将来的には「プラスチックとかよく使ってたよね」とか言う時代が来るかもしれないなって思います。その時にきっと誰もスタバのことなんて連想しないと思うけど(禁煙の動きがどこの企業から始まったか覚えてないし…。でもスタバはもともと禁煙でしたね)、今スタバでプラスチックストロー廃止が始まったんだ、っていう素直な感慨として読んでもいいんじゃないかなって思いました。

 

 染野太朗の鑑賞文でも、先入観で「皮肉」と読むことで零れ落ちてしまうものについて触れています。

 

 

ソイラテを紙ストローで啜ってる老人だらけの未来予想図 (yuifall)