「一首鑑賞」の注意書きです。
244.言い訳はしないましてやきみのせいにしないわたしが行く場所のこと
(谷村はるか)
砂子屋書房「一首鑑賞」コーナーで江戸雪が紹介していました。
次の夏いっしょに行きたかった場所 あした言おうとしてたひとこと (谷村はるか)
を読んだ後だったので、この歌集『ドームの骨の隙間の空に』の「ドーム」が「原爆ドーム」であることを分かった状態でこの歌と出会いました。だから、「わたしが行く場所」を戦争に関する何かだと最初は考えました。とりわけ、一部の女性が戦後従事することになった慰安所のことなどです。たくさんの言い訳も「誰かのせい」もあったと思うけど、その全てを飲み込んでどこかへ「行く」のだと。
ですが、江戸雪の鑑賞文ではそのあたりのことは全く触れられていません。これは、この一首を純粋に読んでいいということなのか、それとも歌集の中でこの歌が「そういう」文脈上には位置していないということなのか、分からずに読みました。
自分の行きたいところには行く。
誰がどう言ったか、誰となにがあったかということは理由にしない。行きたいから行くのだ。
この自由な心と体。
これはとてもポジティブな受け止め方です。そういう歌とも読めます。自分自身の意思と責任で、どこへでも行ける。
実際はこの歌がどういう状況で詠まれたのか、歌集の中でどういう位置にある歌なのか、私には分かりません。ですが、単に一首で読んだとしても、私には「自分の本当の望みに反して行かなくてはならないどこか」へ行く人の歌に思えます。だって本当に行きたい場所へ行くのに、「言い訳はしない」とか「きみのせいにしない」なんて言う必要があるだろうか。心の中には言い訳も「誰かのせい」も渦巻いているんだと思う。でもそれを決して口にせず、どこかへ向かうところに思えます。
あの島へ私遊びに行ったことあなたが知れば笑うでしょうか (yuifall)