「一首鑑賞」の注意書きです。
223.ゆふぐれの薄墨色から足首を引き抜きながら舗装路を行く
(寺島博子)
砂子屋書房「一首鑑賞」コーナーで山下翔が紹介していました。
「足首を引き抜きながら」がいいなあ、と思いながら読みました。「舗装路」なんだから、本当は足を取られるような道じゃないはずです。でも、一歩一歩が重い。「ゆふぐれの薄墨色」も、なんとなく重苦しい感じがします。「ゆふぐれ」でとっさに連想されるオレンジ色とかじゃないんですよね。「薄墨色」です。モノクロームの世界に来たみたいな感じ。背景はよく分からないながら、映像的なイメージが浮かぶ一首です。
鑑賞文ではもっと「死」に近い読み方をしています。
先日、祝儀袋と一緒に筆ペンを買いにいったら、「薄墨色」のペンもあって、それは香典袋に書くのに使うらしい。その習慣や理屈については一旦おいておくとして、少なくともことばのうえでは、この「薄墨色」というのはいくぶん「死」に近いところにある。そんなことも、合わせて読んだ。
そのなかで、結句、「舗装路」だけが妙に生々しく現実味をおびている。ただの「路」ではない、はっきりとこの世の「路」である。生死の界さかいから、どうにか体をこの世に傾けて歩く姿が浮かんでくる。
そうか、確かに「薄墨色」は香典袋に使う色です。この「ゆふぐれ」は「トワイライト」というか、「黄昏」「境界」という意味なのかもしれない。だから足首が入っているのは「彼岸」で、「舗装路」だけがこの人を現実に繋ぎとめるよすがなのかもしれない、と思いました。
たった31文字に深くて広い世界を見せてくれるような歌で、読めば読むほどいいなと思います。
ああ、足が着かない 舌に触れたとき黄泉の柘榴を食べていたのね (yuifall)