「一首鑑賞」の注意書きです。
263.恋人をそれぞれの胸が秘めている不思議さ行き交う人のシャツ見る
(安藤美保)
砂子屋書房「一首鑑賞」コーナーで魚村晋太郎が紹介していました。
作者の名前見て、安藤美保だったのか、って思いました。全然面識ないし生前の姿も知らないのに、なぜかぎゅっとします。見ているのは「シャツ」で、その奥に「胸」があって、さらにその奥に「恋人」がいる。その構造が、歌では逆転させた形で提示されます。恋人から胸へ、それからシャツへ。誰かとすれ違うときに一瞬時間が止まって、そして視点が「シャツ」に戻った時に、また時間が動き出したような感じがする歌です。こういう、自分も誰かの人生の脇役なんだ、って思う瞬間が好きです。一瞬だけすれ違う見知らぬ人がいて、その人の人生から見ると私は一瞬だけすれ違う見知らぬ人なんだなって。
本当は、行き交う人それぞれの胸に「恋人」が秘められているとは限らないのかもしれません。でもそんな風に感じてしまうのは、作者(あるいは歌の主人公)が今まさに胸に恋人を秘めているからだろうというのが鮮やかに読み取れます。鑑賞文にはこうあります。
一首には、時間帯は詠みこまれていないが、朝の風景だと思う。
いますれちがったひとは、ついさっきまで恋人とあまい一夜を過ごしていたのかも知れない。
前をゆくひとには、今夜恋人と逢う約束があるのかも知れない。
それぞれがシャツの下の胸に、恋人の存在をひそかに抱きながら、すずしい顔をして歩いている不思議さ。そしてシャツ一枚におおわれたまぶしい胸の無防備な感じ。
すれちがうひとりひとりの胸にひめられた恋人の存在を感じてしまうのは、ほかでもない。主人公自身が、大切な恋人のことを胸に思いながら、朝の道を歩いているからだ。
この歌は1994年の歌集に載っているものみたいです。上には「自分がそうだからそう見えるんだ」と書いたのですが、もしかしたら、行き交う人の胸に恋人が秘められているのを感じさせられるような時代だったのかなあ。今の20代の人だったら、自分が恋をしていても、仮に安藤美保のような鋭い感性を持っていたとしても、こんな風には感じないんじゃないかという気もします。例えば永井祐の
缶コーヒーのポイントシールを携帯に貼りながら君がしゃべり続ける (永井祐)
を、山下翔が
『日本の中でたのしく暮らす』を読むとむかしの本だなあとおもう。
と評していましたが、こういう明らかに「時代の風俗」を描写しようとした歌が古くなるのは分かります。でも、この安藤美保の歌はもっと普遍的な恋の描写であるにも関わらず、30年という年月は感覚を変えてしまうものかもしれないと感じたりしました。まあこれは私の勝手な思い込みかもしれませんが…。
もしきみが愛を知るなら憎しみもだろうHDD(ハード)を熱くしながら (yuifall)