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「一首鑑賞」-183

「一首鑑賞」の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

183.君に逢ひにゆく傷つきに海よりの夕風はらむシャツを帆として

 (塚本邦雄)

 

砂子屋書房「一首鑑賞」で井上法子が取り上げていました。

sunagoya.com

 この歌は一瞬で引き込まれます。塚本邦雄の歌だと知って、なんていうか「やられたな」って思いました。かっこよすぎる。

 

 井上法子の解説には、この歌が草稿の際は実は一部が違っていたことが書かれています。

 

君に逢ひにゆく愛されに海よりの夕風はらむシャツを帆として

 

「傷つきに」行くのか、「愛されに」行くのか。鑑賞文には

 

思いを寄せる「君」に、作中主体は「逢ひにゆく」。語り手ははじめ「愛され」るために、作中の主人公に行動させる。これはこれで、甘い愛恋の歌であります。

(中略)

歌集におさめられる段階では、何のために会いに行くのか、という、一番大切なはずの部分が作り変えられている。

「シャツを帆として」は、文字通り「胸を膨らませる」様子とも重なりますが、「愛されに」ゆくはずの歩みが、むしろ「傷つ」くための行動へと書き換えられたその瞬間、「海よりの夕風」は追い風から、向かい風へと風向きを変えます。

 

とあります。

 

 でも、私は、「傷つきに」行くのと「愛されに」行くのはそれほど遠くない、って思った。この歌の主人公にとっては同じことなんじゃないだろうか。愛されることで傷つく。でもそれが欲しくてたまらないの。愛とか、傷とか、痛みとかが。「シャツを帆として」なんだから、風は向かい風だと思う。風に向かって歩いていて(自転車で走っているのでは?ってとっさに思ったけどどこにもそんなこと書いてないですね…)、だから、「愛されに」行くのに向かい風を受けている、という方がむしろパラドキシカルなのではないか。「傷つきに」の方がよりナマな表現なのでは、と感じた。つまり表面上は「愛されに」行っているわけですが、実のところ真の目的は「傷つきに」行くということなのかなと。

 

 こういう表現、作者が女性だったら驚かないと思うんですが、男性だったので驚きました。偏見かな。受動態だし、愛されることと傷つくことが近くにあるのって、なんとなく女性的な感覚だと思ってた。痛いセックスとか、不倫みたいな。もしかしたら井上法子の言う通り、「愛されに」行く歌と「傷つきに」行く歌は全然違う世界線上にあるのかもしれない。近いと感じること自体、自分に近づけ過ぎた勝手な読みなのかも、とも思いました。

 

*ところでこの記事で初めて知ったのですが、「塚本邦雄」が正式な表記のようです。ですが、普通の変換で出ないので、Wikipediaにならって一般的な「塚本邦雄」表記にさせていただきます。

 

 

前を行く自転車 きみのひまわりの髪 そんなことだけ覚えてる (yuifall)

 

 

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