「一首鑑賞」の注意書きです。
60.人間の壊れ方にもいろいろとあるがわたしはひび割れている
(松木秀)
砂子屋書房「一首鑑賞」で大松達知が紹介していた歌です。
鑑賞文には
ただし、現代、多くの人が精神的に肉体的に壊れている。それが前提。自分だけは壊れていないというのは傲慢である。だれでも壊れる。いや、すでに壊れているかもしれない。
とありましたが、私は全く逆のことを思いました。
「自分だけが壊れている」、そう考える傲慢もあるんじゃないだろうか。他の人はみんなうまく生きて世界に適応してるけど、自分だけは特別な存在だから壊れてる。他人のことを「ロボット」とか「魚の目」呼ばわりし、この腐った世界に適合できるのは思考停止だと断じ、自分だけが繊細だから壊れてしまうんだ、っていう傲慢。
「生きづらさ」って言葉見るたびに、生きやすい人なんているのかな、って思います。今の社会の風潮って、自分こそが誰よりも不幸だから、皆自分に優しくすべき、自分より幸せな人は不幸になるべき、って圧力が強い気がする。
この歌では、「人間の壊れ方にもいろいろとある」と言っています。そう、壊れているのは自分だけじゃないんですよね。で、「わたしはひび割れている」。これ読んで、みんな、じゃあ自分はどんな風に壊れているんだろうって考えたんじゃないかな。鑑賞文に
ひび割れる人もいれば、膝を折ってガクリと倒れる人もいる。外見はふつうに見えて内部から溶けだしている人もいるし、頭から砂の城が崩れるように崩れる人もいるだろう。
とありました。私は、すごい月並みだけど、「欠けている」のかなって思う。重要なパーツが欠落してるの。他には、どうだろうな。朽ちているとか、回路が途切れているとか、原因が分からないけど動かないとか、穴が開いているとか、異音がするとか、急に燃えるとか、音が出ないとか、色々ありますね。
ひび割れているってどういうことかなぁ。注いでも注いでも水が漏れていってしまう感じだろうか、それとも、注いでも注いでも乾いてしまう感じだろうか。形は保たれている?それとも崩れている?分かるような分からないような、難しいです。
愛で殺してあげるわときみが言う、そんなわけないだろって思う (yuifall)
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