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「一首鑑賞」-86

「一首鑑賞」の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

86.セケン帝なる皇帝がいるらしいあの日の丸の赤の奥には

 (松木秀)

 

 砂子屋書房「一首鑑賞」で澤村斉美が紹介していた歌です。

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 2010年に発表された歌のようですが、コロナ禍の今読み返したい歌ですね。セケン帝か…。まさにそいつが暴虐の限りを尽くしてました。今はだいぶマシですが、一時期はコロナになった人がバッシングにあって自殺したり、旅行に行くと「自分勝手」みたいに言われたりしてましたよね。

 

 なんとなく日本では世間体が重視される、というイメージがあるし、この歌でも「日の丸の赤の奥」とそれが示唆されていますが、実際世界の他の国々ではどうなんでしょうね。古代文明の中には、夫が死んだら妻も墓に入る、という風習が場所を問わず散見されたようですが、これには妻も進んで従ったとか。なぜなら、逆らって生きていてもコミュニティから村八分にされるだけで結局野垂れ死にだったからなんだそうです。コミュニティからはじかれたら生きていけないという状況の場合、どの文化圏内であっても「セケン帝」なる皇帝はいそうな気がします。

 

 その一方で、マイケル・サンデルの『これからの正義の話をしよう』を読んでいて考えたのですが、この本の中で、家族(例えば弟)が殺人を犯したらどうするか、という命題が提示されるんですね。家族としてかばうのか、それとも犯人として国家権力に突き出すのか。

 マイケル・サンデルは各国の大学などでも講義しており、その討論内容が掲載されているのですが、大方の国では「家族だからかばう」という立場に立って議論が進みます。つまり、家族>世間、ということになります。

 一方、日本人的な感覚としては、どちらかというと「家族だから犯人として突き出す」(そして家族も身内として世間から責められる)ということになりそうです。つまり、自分=家族<世間、といった感覚でしょうか。なので、各国の大学での議論の内容を読んでいて、東大で行った講義ではこのあたりの議論の展開がハーバード大のものと異なっているように感じました(そして、マイケル・サンデルも戸惑っているように感じた笑)。この自分=家族<世間、といった感覚でもって親子心中も起こるし、引きこもりも起こる一方で大災害などの際に治安が保たれているのかなーと。

 コロナ禍でも、別に強要されたわけでもないのにおとなしく自粛する一方、自粛に向いていないキャラクターの人(自分>世間の人)や感染者を徹底的に責め立てていたのはこういう感覚から来るのかなと感じました。

 

 しかし、「セケン帝」っていわば駄洒落ですけど、センスいいですね。この歌、風刺がきいてて好きです。

 

 

セケン帝は頸を斬っても殺せないいわんや陽の光を以てをや (yuifall)

 

 

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