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現代歌人ファイル その200-荻原裕幸 感想

山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

荻原裕幸 

現代歌人ファイルその200・荻原裕幸(1) - トナカイ語研究日誌

現代歌人ファイルその200・荻原裕幸(2) - トナカイ語研究日誌

現代歌人ファイルその200・荻原裕幸(3) - トナカイ語研究日誌

現代歌人ファイルその200・荻原裕幸(4) - トナカイ語研究日誌

(梨×フーコー)がなす街角に真実がいくつも落ちてゐた

 

 荻原裕幸はこの『現代歌人ファイル』で4回に渡って紹介されています。山田航がニューウェーブの影響を受けた歌人であり、穂村弘については別枠でコーナーを設けているし、この2人には特別な思いがあるのかもしれません。

 ずーっと読んでいくと、確かに作風の変化が窺われて面白いです。最初はわりとかちっとした、前衛短歌の影響下にあるような作風だったのですが、徐々にこんな感じになってきて、解説では

 

 そして「甘藍派宣言」の終盤ではついに日本語の解体という問題に取り組み始める。これは第三歌集「あるまじろん」にてさらに先鋭化する。決して「分かち合えない傷」を抱えた世代が、「傷」という物語を超えたところにある「言語」の領域へと飛翔していくのである。

 

こう書かれています。

 

 私にはこういう「日本語の解体」とかそういう言語概念ってうまく理解できないんですよね…。どう考えていいかわからん。そして(梨×フーコー)も分からん。ですが、自分が言語感覚に保守的であるという自覚もあるので、もしこの歌が出てきた時代に中年だったとしたら、今の若い人が詠う歌なんだから新しい表現なんだろうなーって分からないながらも納得してしまいそうな気がする。現実的には自分がまだ若い頃に先人の詠んだ歌としてこの歌に出会い、今成人をはるかに過ぎてますが、未だに分かりません(笑)。だから多分、感覚の若さとかの問題じゃないんだろうなーと。

 

ぽぽぽぽぽぽと生きぽぽと人が死ぬ街がだんだんポポポポニアに

 

 こういう歌の方がまだ分かる感じがします(まあ、「感じ」であって実際に理解できているかは疑問ですが…)。解説には

 

連作「ポポポポニアにご用心」のこれらの歌となると、もはや日本語の意味性そのものを解体にかかっている。「ぽぽぽぽぽぽ」に何らの意味は付与されておらず、読者の経験や感情などからどうとても自由にかたちを変える。完全な無意味なんて存在しなくて、あるのはすべて自由に可変する意味だけなのである。

 

とあるので、こういう歌の方が、逆に誰もが共感するのかもしれません。自分なりの「ぽぽぽぽぽぽ」を重ねるんだろうな。時代的には80年代後半のようですので、まさにバブルですよね。実体に乏しい盛り上がりがこの言葉に集約されている感じもします。今の時代に重ねても、やっぱり「危機感に乏しい」ということになりそうです。

 

▼▼▼街▼▼▼街▼▼▼▼▼街?▼▼▼▼▼▼▼街!▼▼▼BOMB!

 

 これは「日本空爆1991」の中の一首で、湾岸戦争批判として詠まれた、とあります。爆撃によって奪われる言葉のメタファーとしての記号なんでしょうか。記号短歌ってずっと好きじゃないと思っていましたが、この一連の作品は好きだと思いました。

 

 もともと、短歌をヴィジュアルで捉えるってことにあまりいい印象を持っていなかったし、言葉は意味だろ、って思っていたのですが、最近、やっぱり見た目も大事だなって思ってきた。この一連の作品も、字数がきっちり揃っているそうです。例えば同じ言葉を漢字と平仮名、カタカナで書くのは違うし、私自身も自分の短歌は縦書きしたくないと思ってる(横書き短歌や俳句死ね、って思ってる人もいるのは知っているけど、私は自分の作品は横書き前提で書いているから)。それは、結局、「音」や「意味」だけでは表しきれない「見た目」も作品のうちだし、「言葉にできない」「言葉が奪われていく」っていうことを見た目であらわす作品があってもいいのかなって思ってきたんですよね。

 自分では「字数をきっちりそろえる」とか、「フォントに拘る」とか「意味の途切れ間で改行や改ページが入らないようにする」というような見た目の美しさへのこだわりはないし、さらに言えば「リズムと音」みたいな、「短歌」(歌ですし)として最も重要なところにもあんまり意識を注いでいないという自覚があります。でも、そういうものを重視した作品を味わえる能力は身につけたいなと思い、なるべく意識して読もうとはしています。

 

 その後更に時代が流れ、

 

永遠のみづいろとしてひとりくらゐ犀を生きてもいいではないか

 

みたいな短歌が詠まれています。なんか、言葉に戻ってきましたね。すっごい単純な読み方なんですけど、この「みづいろ」は青春を薄めた色なのかなって思いました。まあその一方で、「日本語の解体」までした作者がそんな簡単な比喩を使うはずがない、という思いもあるのですが…。

 

白地図ではつねに空爆する街をみづいろにして叱られてたなあ

 

って歌もあり、「みづいろ」はやっぱり単純に「青春」ではなかろうと思いました。解説には

 

翡翠」や「犀」という語があらわれるとき、どんなにテンションの高い文体が構築されていようがその向こう側には「国家」に対する内なる恐怖心が見え隠れしているように思える。

 

とあるのですが、そこまで大きいものを想定しているかっていうのは正直よく分かりません。現役の大歌人として活躍中の方ですし、そのうち「荻原裕幸論」みたいなの出るんでしょうから、出たらぜひ読みたいですね(笑)。

 

 最後に好きな歌を一首引用します。

 

永遠よりも少しみじかい旅だから猫よりも少しおもいかばんを

 

 

言葉だけで教えてほしいきみの知る複屈折の世界のことを (yuifall)

 

 

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