北溟社 「現代短歌最前線 上・下」 感想の注意書きです。
われらかつて魚なりし頃かたらひし藻の蔭に似るゆふぐれ来たる
この歌昔から好きで、この人の歌はなんとなくどこかひんやりしたイメージを持ってます。言っている内容はかなり情熱的なんだけど、口調が淡々としてるの。「私たちが魚だったころさ」、って、普通に言われちゃう感じね。うっかり聞き流してしまいそうな。
木の実食みゐし前の世のこと抱擁のさなかに思ひいでてすずしも
これも、前世で木の実食べてたってあっさり言ってて、しかも思い出してすずしいんですからね。全然熱くはなってないんだよね。この人の歌読んでて、なんかまるで普通のことみたいにぶっ飛んだこと言ってるのすごいなって思います。
穂村弘『ぼくの短歌ノート』の「ハイテンションな歌・現代短歌編」でこの人の
畳のへりがみな起ち上がり讃美歌を高らかにうたふ窓きよき日よ
が紹介されていて、解説に
「畳のへり」は和風に見えてクリスチャンなのか。また、この歌の特徴は、ハイテンションの理由が読み取れないところだ。失恋とか得恋とかキスとか青春とか死とか、そういう背景が全くわからない。強いて云えば狂気だろうか。
とあって、今こうして200首読み返してみると、本人は全然盛り上がってないのに言ってることがすごいというか、なんというか、全然親しくない人にいきなり「きみ今朝いつもより5分遅く起きたよね。朝はパン派なんだね」とか言われちゃう怖さみたいな…。ええー?ストーカーやん…。何普通に言ってんの、マジでやばいやん…みたいな…。
北村薫の『うた合わせ百人一首』という本で水原紫苑のエッセイ(『星の肉体』のなかの「椿の崖」)が紹介されているのですが、そこで江夏豊という野球選手について語っていて、以下引用(というか、引用の引用)ですけど、
江夏は入団四年目すなわち私が好きになった年から心臓病が出たので、いつかマウンドで死んでしまうのではないかという甘美な期待があった。(中略)とうとう死なずに引退して、たくさんの女の人と浮名を流したが、その後、覚醒剤使用で刑務所へ行ってしまった。離婚して一人でさびしかったのだという。何故さびしいのだ、私がいるのに。
とあって、仰天しました。このノリ、完全にオタクですね。オタクの思考です。「私が好きになった年から心臓病が出た」「いつかマウンドで死んでしまうのではないかという甘美な期待」「何故さびしいのだ、私がいるのに」って、全く疑うことなく彼の運命を自分と直結させる思考すごいわ。思い込み力も最大値まで高めると美しくなりうるのか、という、研ぎ澄まされた何かを目の当たりにしました。
みづいろの革手袋のわれなりし チェロなるきみにすがらむとし
これも擬人化系統です。なんとなく「チェロを抱くように抱かせてなるものか」(大田美和)みたいな、女性が鳴らされる楽器、みたいなイメージがあったのですが、「チェロ」は「きみ」で、「われ」は「革手袋」なんだ。そして「すがる」のか。なんで「みづいろ」なんだろう。荻原裕幸も「みづいろ」の歌いっぱいあったけど、なんの暗喩なんだろうか。
ちなみにセクシーな何かを象徴する色は日本だとピンクですが、英語だとblueのようです。
石板の文字伝ふごと航跡はありしや環指短きひとよ (yuifall)
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