「短歌と俳句の五十番勝負」 感想の注意書きです。
蝶生れて瀬戸内海の綺羅となる (堀本裕樹)
綺麗な句だな、と思いました。エッセイでは瀬戸内海での思い出が書かれており、瀬戸内海のイメージが美しいものだから美しい句が生まれたんですね。最後に、
この辺りで生まれるすべての生き物は、まもなく瀬戸内海のきらきらした風に吹かれるのだろう。蝶も生まれると、やがて瀬戸内海の風に乗って光にまぎれ青やかに舞い上がるのだろう。
とあり、その光景が目に浮かぶようでした。
瀬戸内海へは、大学の非常勤講師として通っていたことがあるそうです。三十代の頃、学生の句会に参加したり、一緒に食事をとって夢を語ったりしたという思い出が語られます。三十代の若い先生が一緒に俳句を詠んでくれて、お酒を片手に夢を語り合えるなんて現代とは思えない羨ましい学生生活だなあと思いました。そういう思い出のある学生さんたちは、今頃どこで何をしているんだろうな。夢は叶ったんだろうか。
ところで、以前『短歌パラダイス』を読んだ時も題に「台湾」ってあったのですが、地名がお題になる場合その土地と自分の距離感のようなものを否が応でも考えさせられます。例えば(これは厳密には地名ではないのかもしれませんが)穂村弘が「百済」という題で題詠をしたとき、
と詠んで、水原紫苑に「この<百済>は<インカ>と入れ替えても全く問題なく一首が成立するから題詠とはいえない」と指摘されたエピソードを紹介していました。『現代短歌最前線』の感想でも引用したのですが、これに対して穂村弘は
この歌の『百済』が『インカ』と入れ替え可能な理由は、はっきりしている。それは作者である私のなかで『百済』も『インカ』も全く同じようなものでしかなかったということである。この経験を通して私は、歌には全く誤魔化しようがなく、<私>が現れるということを改めて知らされた。
と書いています。ちなみに水原紫苑および林和清も「百済」という言葉が入った歌を詠んでいて(この時の題詠で作った歌かは分かりませんが)
「くわんおんはわれのごとくにうるはし」と夢に告げ来し百済びとあはれ (水原紫苑)
旅の夜の夢のみぎはに百済より春の潮が巻きもどりくる (林和清)
という感じです。
堀本裕樹の句は、上に「瀬戸内海のイメージ(思い出)が美しかったから美しい句が生まれたのかな」と書きましたが、でも、そんな思い出がなかったとしてもなんとなく「瀬戸内海」にはキラキラしたイメージがあるのは分かります。だからこの句がすとんと腑に落ちる感じがしました。
それにしても、行ったことのある場所だったらまだ思い出とかで詠めそうですが、「百済」とか、全然行ったことのない(行けるはずのない)場所をテーマにどう詠むか、という時に、底力が試されるような感じはしますね。
コロナ禍やばいきんまんも手を洗い瀬戸内海を列車は走る (yuifall)