山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
伴風花
ルール0・絶対言っちゃだめなこと→愛してる(愛してないとき)
ルール7・ケンカ時投げちゃだめなもの→乾電池(とくに単一)
これ、歌集にはルールが全て載っているんだろうか?ルールブック(笑)?私の取説(笑)?
これ読んで、「愛してないとき」ってなんだろう、って考えました。愛してる人を「愛してないとき」ってあるんだろうか。「愛」って愛する人との間に存在するベーシックな感情であるイメージがあるんですが。だから、この人にとっての「愛」ってどういう状態なんだろう、って考えました。
なんか穂村弘の歌に似てるなーと思ったけど、そんなことないのかな。解説には
ここにある恋愛は「かぎかっこ」的とでも言ったらいいのか、一人遊びの延長線上にあるような心の行き違い感がある。
とあり、発想的なものが似ているような気もします。
ゆるすって優しい力あすからも生きてくじぶんにやさしいちから
これを読んで思い出したのが、松実啓子の
赦せよと請うことなかれ赦すとはひまわりの花の枯れる寂しさ
です。許すことが本当に優しさだろうか?
すっごく昔、若いころ、大好きだった人と喧嘩をして、ほとんど口もきかなくなって、でもお互いにわだかまりがあるのは嫌だって何となく思ってて、話し合って相手には「ゆるす」と言われたんだけど、やっぱり前と同じ関係には戻れなかったことがありました。その時、上記の「赦せよと請うことなかれ」の他、
約束の果たされぬ故につながれる君との距離をいつくしみをり (辻 敦子)
って歌のことを考えてた。「ゆるす」っていうのは相手を諦めるってことなのかもしれないって思ったんです。
もちろん、人間関係の中では簡単に許せることもあるし、それは「優しい力」なのかもしれないんですが…。
不一致を今日またひとつたしかめて駅の階段上手に下りる
解説には、
恋人同士であっても決してすべてを分かり合えないこと、完全に一つにはなれないことに対して自覚的である孤独な人間同士のぶつかり合いでしか愛が表現しえないかのように相聞歌が詠われる。
とあります。完全に一つになれない、すべてを分かり合えないことが孤独なのかなぁ。正直、誰ともすべてを分かり合いたくないし、一つにもなりたくないです。それが孤独だ、といえばそうなのかもしれないけど、まあ要は人間なんてしょせん孤独なものですよ、っていう?
ここに引用されている歌からは、解説にあるような「痛いくらいの切なさはそこから生まれている」という感じは正直それほど受けないのですが、これは単に感受性の違いというよりも、これらの歌に出会った年齢の違いもあるのかもしれません。この記事、2012年ですから、山田航はまだ20代半ばのはずです。やっぱり若いころに出会わないと遅すぎる歌ってあるような…。
あとは歌集全てを読むと印象が違うのかも、という気もしてます。解説には、
「イチゴフェア」にはストーリー仕立ての連作が多く入っている。(中略)「ライパチ」(8番右翼手、少年野球などでは一番うまくない選手がつくポジション)の少年へ捧げた歌(中略)の他にも野球部のマネージャーを主人公にした「ファール・ボール」、ソフトボール少女時代を回想した「まめ」、学校生活を描いた「バケガク・ノート」、15歳で脳死状態に陥った少年を見舞った経験をもとにした「文月」などがある。
痛みを抱えた他者の姿をあくまで真摯に見つめようとする意志が強く感じられる。
とありますので、読んでいくと、もしかしたら誰かの痛みを鋭く追体験するとともに、自分の痛みも分かってくれる人だ、という感覚になるのかもしれません。いつもアンソロジーの感想しか書いていないので全体の把握みたいなことはちょっと難しくて、多分分かっていないことはたくさんあるのですが、ここでは一首一首と出会う気持ちを大切にして読んでいきたいな、と思っています。
刺すこともできないままのミズクラゲきみの視線をすり抜けさせて (yuifall)