山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
小野茂樹
朝霧に日のかたち見ゆあたたかき眼をおもひつつ家出づるとき
読んでいてどれも美しいのですが説明しにくいなぁと思いました。これは多分家族(お母さんとか奥さんとか子供とか)に見送られて家を出る朝、っていう何気ない光景なのかな。朝で、霧がかかってて、その向こうに日が差してて、普段直視することのない太陽のかたちを霧が垣間見せてくれる、という。そのかたちにあたたかい眼のかたちを重ねてて、あの瞳もきらきら輝いてた、って。
解説には
小野の短歌の最大の強みは、イメージの重層化が非常に巧みで豊かであった点にあるだろう。単に曖昧な表現をするのではなく、読んだ者ひとりひとりの記憶や想像力を引き出してくる技術が高いのである。(中略)愛の描写がイメージ豊かであらゆる人に届く性質を持っているのに対し、死の描写は徹底して内省的かつ個人主義的である。
とあります。「あらゆる人に届くイメージ」だから、説明する必要はないのかも。私も私の中にある「あたたかい眼」を思うだけでいいのかもしれません。
あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ
この歌がもうずっとずっと好きで、「単に曖昧な表現をするのではなく、読んだ者ひとりひとりの記憶や想像力を引き出してくる技術が高いのである」という解説を読んで本当に納得しました。誰しもが心に持っている「あたたかき眼」や「あの夏の表情」をまざまざと思い起こさせるような歌です。
一方で「内省的かつ個人主義的」と評される死の歌は
母は死をわれは異る死をおもひやさしき花の素描を仰ぐ
われの死をついに願ふか背きたるかなしみゆゑにただ生きたきを
という感じで、確かに非常に個人的な体験、あるいは自分自身の内面に踏み込んだ詠い方だと感じました。戦争体験と学童疎開によって決定づけられた死生観、と書かれています。
蜜したたるケーキのかけら耐へきたる不在の遠き飢ゑ満たすべし
という歌を読むと、戦後豊かになったといえども、かつての失われてしまった飢えを贖うことはできない、という感じがします。
夭折されていたことは知っていたのですが、40歳前後で亡くなられているんですね。
ともしびはかすかに匂ひみどり児のねむり夢なきかたはらに澄む
とあって、この「みどり児」がいくつの時に亡くなったのだろう、この子はお父さんを失ってしまったのか、ってすごく悲しくなりました。
取り戻し得ぬと思いつ仰ぐ空エトランジェとして生きたかったが (yuifall)