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現代歌人ファイル その119-浜田到 感想

山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

浜田到 

bokutachi.hatenadiary.jp

とほき日にわが喪ひし一滴が少年の眼にて世界の如し

 

 圧倒的とも言える耽美的な世界観、と解説にはあります。「とほき日にわが喪ひし一滴」って何のことなんだろう。「眼」だから「涙」かなぁ、と最初思ったのですが、「少年」からは「精液」、「世界」からは「血液」や「羊水」などが連想されます。それとも体液ではないんだろうか。翻訳詩を読んでいるよう、という解説を見てなるほど、と思ったのですが、

 

日没の炭化しゆく街に放つ★★★一電光の一黒蝶

 

という「記号短歌」も引用されており、これは前衛の手法でしょうか。

 

 

瓦斯にほふ病廊のおびえ夜は沈めわが血の中を少女とほれり

 

 解説に

 

浜田の歌世界の主要な住人は「少年」「少女」「亡母」である。浜田自身の少年期の反映なのかと思わせる「少年」と、ひたすらに美しさを湛えたまま冷凍保存されたかのような「少女」像。少女に対する異常なこだわりは、成熟を拒否する浜田の美意識のあらわれである。そして「若くして狂い死にした母」という存在がしばしば登場する。この亡母が実在したかどうかはわからないが、浜田のなかにあるトラウマと、女性への愛憎の象徴が「亡母」である。

 

とあります。先ほどの「喪ひし一滴」が分からなくてググってみたところ、砂子屋書房の『一首鑑賞』のコーナーで吉野裕之によって

 

逆光の扉(どあ)にうかび少女立てばひとつの黄昏が満たされゆかむ

 

が引用されており、

sunagoya.com

そこに「少女は、生=死の比喩なのだろうか」とありました。

 

 繰り返し登場する「少女」は一体どういう存在なんだろう、と思いながら読んだのですが、理解が難しかったです。美しくて、嘘つきで、永遠に大人にならない「少女」は私の中にいないので、幻視しづらいのかもしれない。

 

葡萄蔓空に泳げばゆふひ色の少女の嘘に見惚れてありぬ

 

なんて読むと、吉本ばななの『TSUGUMI』を思い出してしまいました。全然関係ないけど一穂ミチの『off you go』(BLです)の密のモデルってつぐみだったのかなぁ。

 

人形にのみ水晶の瞳(め)あり寒冴えし睫毛を植うるひとひたに恋ふ

 

など、「眼」をモチーフにした歌も多いそうです。

 

「目」やそれに付随するものをモチーフとした歌が多いのも浜田の特徴である。彼が非常に視覚優位なタイプの歌人だったというだけではなく、「水晶体」「透明な宝石」としての眼球に着目している。(中略)つまり浜田は、眼球を媒体として世界という球体に迫ろうとしていたのだ。

 

とあります。

 

 ところでまた関係ない話で申し訳ないのですが、

 

寡黙なる愛なりしかな精霊色せる硝子街につぶす苺を

 

 この歌読んでて思いだしたんですけど、昔読んだショート・ショート?で、いちごをスプーンで潰して食べるシーンがあって、そのいちごがいつの間にか?自分になっていて、自分がスプーンで潰されてその血が赤い、みたいな話があったような気がするんですが、誰の書いた話なのか思い出せません。ググってもよく分かりませんでした。星新一とか筒井康隆とか、ちょっとブラックなSF?に傾倒していた時期があったのでそういう系統だと思うのですが…。

 

 この人の世界観は、「幻想と耽美を愛する人の心に相当響くものがあるだろう」、と解説にある通りで、逆に幻視と耽美に親和性の少ない私はなかなか読むのが難しかったのですが、本当に、こういうワールド形成力強い人って憧れます。

 

 

きみの手のくぼみからなら致死量の毒でも啜る白き水月 (yuifall)