山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
柴善之助
吾ながら気むずかしき顔を街にさらし天麩羅を揚げたる三十三年
この人は1915年生まれで、歌集を出したのも80代らしいです。本業は天ぷら屋さんなんだって。40歳くらいで脱サラして始めたってことなのか?「吾ながら気むずかしき顔」って面白い。こだわりの天ぷら店!とかってTVの取材とか来てそうですね。商店街歩き的なやつ。
吾が店は女子高の通学路朝夕の青春の囀りは一円にもならず
という歌もあり、面白いです。歌集のタイトルも『揚げる』だそうです。この端的な感じがまた萌えます。
花過の海老の素揚にさつとしほ
という藤田哲史の俳句がふと思い出されました。最近俳句も読んだりして楽しんでます(とはいっても短歌も俳句も範囲が広すぎて手を広げるとドツボにはまるので、俳句はチラ見して楽しむくらいですが…)。
市役所は河べりに据えざぶざぶと葦原を分けて出勤はどうだ
「山手線の真下にしては静かでしょう」陳列ケースの黄金(きん)のつぶやき
こういうのも面白いなー。市役所を河べりにおいてざぶざぶ出勤かぁ。「山手線の真下にしては静かでしょう」も楽しい。高架下でお店やってんのかな。70歳を過ぎて短歌を始め、80代半ばで第一歌集、という解説を読んでなんだか嬉しくなりました。若い人の短歌読むのも楽しいですけど、将来にまだまだ楽しみが待ってるな、って思わせてくれるような歌ばかりです。
山一つ隔て育ちし妻と俺と同じ日の雪に遊んだわけだ
こういう相聞歌も素敵ですね。奥さんとは年が近いんだろうな。だから、山一つ隔てて育っても「同じ日の雪に遊んだ」って思うんだろう。
テントウムシひっくり返してなまめかしき裏の仕組みに見入る老いの夜
これとかも好きだ。「なまめかしき裏」と「老いの夜」が全然違うモチーフなのになめらかに繋がっていて、ちょっとどきっとします。何かで読んだ、女は灰になるまで女なのだ、っていう超ショートストーリー思いだした。
確かキンゼイ・レポートかなんかと関連したジョークで、(時代背景がかなり前です)ある男性博士が自分の母親に「いつまで女だったか」って尋ねた時にお母さんは答えないでただ黙って暖炉の灰をいじっていて、さすがに息子とはいえこんな質問は不躾だったか、とそれ以上追求しないんだけど、後からああ、あれは灰になるまで、という意味だったのか、と気付くという話です。なんというか「性欲」って言っちゃうとアレですけど、ほのかに異性の肉体を思うというか、「なまめかしい」っていう言い方が上品でいいなって思います。
祈りではない文言を何行も顔も知らない人に宛てては (yuifall)