山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
中沢直人
エリートは晩秋の季語 合理人の孤独を移す水面静けし
「エリートは晩秋の季語」に、ええ?そうなの?と思って調べたら特にそのような記載はなかったのでむしろ更にびっくりしました。この人は東京大学法学部卒業後ハーバード大学法科大学院修了ということなのでリアルエリートなのですが、自分自身を晩秋になぞらえてるのかな。
ところでこの「移す」はもしかしたら「映す」なのかもしれないと思ったのですが、サイトからの引用そのままです。実際の歌を見ていないのですみません。
この人の歌はわりと固定化されたイメージをそのまま持ってきてる感じで、この歌なんかも「エリート」「晩秋」「合理人」「孤独」「静か」と、単語の連なりにあまり飛躍がないです。解説には
このような象徴化の手法は、感情は個人的なものではなくあらゆる人に共有されうるという思想が基礎になっているように思う。「共感」ではなく「共有」を求めている歌なのだ。
と書いています。その気持ちは分かる気がするな。詩的飛躍が強すぎる歌に対して、あーもう脳内でやってくれよ!ってなっちゃうとき、私にもありますもん。多分、A→B→C→Dみたいな論理展開を歌にも持ち込むタイプなのじゃないかなぁ。だから詩にするとA→Dくらいの出力なの。
せずに済むはずのなかった世界史のように麻疹が流行りはじめる
これとかも、一時期予防接種が途絶えた世代に麻疹風疹が流行しててやばいよーみたいなあれかーってすぐ分かるし。理知的でぱきっとした感じの歌です。
負け組はますます負ける 遊歩道の端にうずたかく雪かきの雪
こんな身も蓋もない歌もあったりして、面白いなって思いました。なんとなく歌人って自分の「負け組」っぷりを楽しんでるようなところがあるイメージで読んでたので、いわゆる「勝ち組」の人が、
貧困の理由は常に内側にある ぐじぐじと這うあめふらし
責任をなぜ引き受けぬ 言い訳の上手い男のふよふよの頬
みたいに、努力しない(ように見える)側に対して本気で怒ってるような歌ってあまり出会わないし面白いです。でもそんな人が短歌を詠むっていうのは、多分合理的なだけだと割り切れない何かを抱えてるからだと思う。解説には
中沢は、自らの詠む短歌の主人公を国際的に活躍するエリートとあらかじめ設定しているのが特徴である。読者はそのことに反感を覚えてはいけない。
と書いてます。確かに、
最後までこれほど甘いはずはない ほどほどでやめにするカプチーノ
なんて読むと、甘いところでやめておきたい、っていう絶妙な、何て言うのかな。「頭としっぽはくれてやれ」っていう勝ち逃げ感と、最後まで泥水啜って苦みを味わわず、甘いところでやめておこうという「甘い」感じが両方あって、いかにもエリートっぽく、反感を覚える人がいるのは分からないでもないですね。だけど、
家族にはもう遅すぎる俺なのか乱切りにする赤いパプリカ
みたいな歌読んでると、この過剰ないかにも感は「エリート的戯画」なのかな、って気もします。
個人的にはインテリ好きなんで、エリートに全く反感は抱きませんけど(笑)。むしろ好き。
あなたにも悲しみはある 無防備に割られて肉を晒せる西瓜 (yuifall)