いろいろ感想を書いてみるブログ

短歌と洋楽和訳メインのブログで、海外ドラマ感想もあります

「一首鑑賞」-97

「一首鑑賞」の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

97.ちかいうちにきっと後悔するだろう家族のことをここまで詠んで

 (永田愛)

 

 砂子屋書房「一首鑑賞」で生沼義朗が紹介していた歌です。

sunagoya.com

 これ読んで、ふしぎだなぁ、と思いました。なんで短歌では、事実を詠むことがこれほどまでに美化されるんだろう。家族を詠むことで後悔することが分かり切っているなら、詠まなければいいじゃん。でも、その切迫した感情、後悔することを知っていてなお止められない感情こそが評価されうるわけです。

 じゃあ、ネット上に子供の写真とかアップしまくっちゃうのもいいの?芸術じゃないからダメ?じゃあ子供の顔そっくりのイラストだったらいいの?実録漫画なら?家族を詠んだ短歌と家族について描いたコミックエッセイとどう違うの?どんなことでも、自分の感情を昇華する芸術であれば許されるの?芸術作品と暴露本の違いって何?後悔するかもしれないけどどうしてもそうしたい、って思ったら、家族のことを全世界に発信することも芸術の名のもとに許されるものなの?

 

 この歌の他にも何首か引用されています。妹と三年口をきいていないこと、妹の婚約を父親から聞いたこと、妹が自分について相手の親とも話したくないと思っているらしいこと。私がもし妹の立場だったら、本当に許せない。これを作品にするなんて。どれだけ傲慢なんだろうと思うだろう。でも、一読者の立場からすると、2人とも全然知らん人だし、そこまで激烈な感情は持てません。この人はどうしてもこの葛藤をナマのままフェイクなしに歌にしたかったんだな、と思う。だけど、「妹」に関する一連の歌を読んだだけの時は「一部はフェイクなのかもな」とか思う余地があるけど、この歌を目にしたことで一気に「事実なんだな」、ってなってしまいますよね。そこで気持ち的に、ちょっとやだな、に傾くんです。

 まず、作品を鑑賞するにあたってフィクションである読み方を限りなく排除した点が嫌だし、あとは、「あとで後悔するようなことをやってるのは分かってるから許してよ」って言われているように感じて嫌だ。勝手に暴露しといて許容まで要求するの、って思う。それから、更に言うと、私小説化されたことによって自分が他人の人生を覗き見る加害者にされているようで嫌だ。週刊誌を読む感じというか…。

 

 世には「私小説」と呼ばれるものが数多くあるし、自分の家族を赤裸々に描写した随筆も多く見られます(まあ、読まれやすいものの多くは偉人の家族が偉人について書いたものでしょうが…)。それが文芸作品となるかただの暴露本になるかは結果論でしかないようにも思えますが(あるいは強者が弱者の立場を踏みにじることが何とも思われていなかった時代の文芸形式にも思える)、いずれにせよ、「こんなに書いて後悔する」と書かれたものを読みたくはないと思ってしまう。

 この記事書いたのはだいぶ前で、それから後になって某漫画家と実の娘との確執が明らかになりましたが、芸術家であっても家族のことを赤裸々に暴露することが果たして本当に許されるのだろうか。

 

それでも「家族のことをここまで詠」むのは、永田にとって本当に詠んでおきたいことだからに他ならない。その上で後悔を覚悟するのは、家族への愛情ゆえである。その煩悶は率直だ。ゆえにシンプルな文脈や措辞と相俟って、複雑な事情がダイレクトに読者の胸に響いてくる。

 

とあります。本当に詠んでおきたいことならなんでも詠んでよいのか、と問われたら、きっと「歌人」であれば、よい、と答えるのだろう。私はそうは思わない、とは言いません。私は、家族を含めた私生活のことは本当に詠みたくないからです。この人が「家族への愛情」ゆえに家族を題材に詠う人生を選択するのなら、私は「家族への愛情」ゆえに家族を題材にはしたくない。

 

 色々考えた上で思ったけど、結局のところ、多分私もやっていることはこの人と同じで、詠みたいことしか詠んでないわけです。私生活のことは歌にしたくないと思っているのでしないだけです。事実を詠えないなら「歌人」にはなれないとしても全くかまわない。そこによいも悪いもなくて、ただ、仕方ないなって思う。もし私の歌が誰の胸にも響かないとして、それが嘘っぽいというか、「事実性」のなさ、キャラクターのブレに由来するものであれば、それは仕方ないなって思います。だから、そこの壁を超えても「歌人」でありたい、歌を詠みたい、という信念を持つ人だけが「歌人」になれるのかもしれません。でも、だからこそ、「後悔するだろう」なんて甘い言葉で自分を許してほしくなかったなって思うんです。

 

 まあ、良かれあしかれ人にこれだけの印象を与える歌を詠えること自体が成功なのかもしれませんが…。

 

 

ふるさとの川に投げ込むバイオレット・フィズ思春期を処刑するため (yuifall)