山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
杉森多佳子
うら若き女性兵士が捕虜となる「虜」とは男がとらわれる文字
ふいに止む噴水の筒 銃口の闇を思えばまばたきできず
こんな、戦争を詠った歌が心に残ります。
解説には、
「忍冬」にはイラク戦争などを扱った時事詠が多く含まれているのだが、社会に対して強く非難の声をあげているような印象はしごく薄い。自分が社会の中に埋没して消えていくことへの不安感が繰り返し表現されており、時事的な問題を扱うのもまたそんな不安感の一パターンのように感じられる。喪失感よりも自己消失感こそが杉森の意識の中で大きなテーマとなっていたのだろう。
とありました。
誰からもふりむかれないさびしさが火に変わるときどんな目をする
例えばこのような歌も、個人の「さびしさ」というよりも、少年犯罪的な何かがテーマなんでしょうか。「さびしさが火に変わる」ときにその火が誰かを焼き尽くすのかもしれないって。
だけど
いつかしら この雨音を聴いたのは わたくしを消す降り方をする
という歌などは、やっぱり自分自身のこと、という気もします。わたしは消えてしまう、誰からも振り向かれない、という。
この人は30代半ばころに夫の闘病に寄り添い続けたという状況があったそうです。
洋梨が暗号のように香りだすきみが辛いと語らなくても
など一連の歌が紹介されています。そして、生活が落ち着き再び歌を詠み始めた頃に師である春日井建が亡くなられたとか。
数学の明快さもて師は語る助詞一文字の有無のことさえ
悲しみをこの夕空に放つなら紫陽花色に変わる日輪
と、喪失の悲しみが詠まれています。一方で
さびしさに溺れてゆけば楽なのに、なのに、足りない溺れる力
ともあり、自分をどこか客観的に捉えるような視点も感じられます。解説には
何かをなくしても、何かが消えていっても、どこかに希望に満ちた空気が残されているのが杉森の世界観の特徴であろう。(中略)身動きがとれなくとも耐え忍び花を咲かせ続けよう。そういったポジティブさがこの歌人の根にはあるのだろう。
とあります。
ところで春日井建の本歌取りも多数詠んでいると解説にあるのですが、元歌の知識が乏しすぎてどれが本歌取りなのかもわからず…。悲しいな…。
白百合の遺伝子をもつ夏雲のあの輝きをまとっていたい
なんか、言われてみれば春日井建の香りなのかなぁ、となんとなく感じるくらいです。。
この記事、前の記事を書いてから半年くらい間があいてます。『現代歌人ファイル』のこの人の記事は何度も何度も読み返したのですが、どうもイメージがつかめなくて。師匠の春日井健の歌をあまり知らないせいもあるのかもしれないし、
春日井没後は短歌をやめようとすら思ったそうであるが、あえて0から始めようと全く系統の違う「未来」に入ったという。
とあるのですが、「未来」の系統についてもあまりピンと来てなくて。。私に歌人としてのバックグラウンドがないので、全然理解できていないという意識が先に立ってしまい、感想を書くのが難しかったです。
短歌はずっと好きなのですが、時々「読む」のがしんどくなる時期があって、時間を置いたりしていました。細く長く付き合っていければいいかなと思ってます。
咳止めの薬が助けてくれるから 運命なんて嘘 ここにいて (yuifall)