北溟社 「現代短歌最前線 上・下」 感想の注意書きです。
江戸雪③
傷ついたこと馬鹿らしくストローを噛むダサシュワメート・ガート午前五時
『インド・ネパール 十六首』という章の中の歌です。ダサシュワメート・ガートはガンジス川の沐浴場らしいです。日没後にお祈りする場所なんだって。午前五時ってことは、お祈りとは関係なく、自分のために来たのかな。インドには行ったことないなぁ。すごいハマる人と、二度と行きたくない人に分かれるって言いますよね。インド旅行の旅行記読むのはめっちゃ好きなんだけど…。だいたいみんなどこかで下痢して死にかけてんのがまた面白い(笑)。そして多分一生行かないな…。自分のこういうヘタレなとこ嫌いなんだけど仕方ない(笑)。逆にすげーばあさんになってもう死んでもいいやってなったら行くかも(笑)。
なんかずっと読んできて、この人の歌にあんまりタフな女性像を感じないので、インド旅行が意外な感じがしました。それともちょっと不思議系の人なのかなぁ。イメージにすぎませんが、インドで「傷ついたこと馬鹿らしく」って思うの分かる気がするし、でも日本に帰ってまた普通の暮らしに戻ったらまた普通に傷ついたりするんだろうなって思います。
ずっと知っていたような道 運ばれてゆく屍のあかい足裏
こういう旅先の歌好きです。インドって、谷岡亜紀の歌でも思ったけど、死が身近にあるのかな。裸足でいるから「足裏」が目に留まるんですよね。「あかい足裏」ってありますけど、インドのどこかの地方で、いろんな色の粉みたいなもので毎日扉の前の床に絵を描いて、みんながそれを踏んで歩く、っていうのを読んだことがあるような気がします。ANAの機内誌だったかな…。毎日誰かに踏まれて消えてしまうものを毎日描く、っていうところに強固な思想を感じました。ヒンドゥー教の関連なんでしょうか。「ずっと知っていたような道」っていうのもいいですね。現実の「道」のことでもあるだろうし、「生から死への道」のことでもあるんだろうな。誰もが通る道。
『もの食う人びと』(辺見庸)読み返したくなって読んでたんですが(この本めっちゃ好き)、読み返してみたらインドは入ってませんでしたね…。最初に残飯食べてたのどこだったっけ、と思って読み返してたらバングラデシュでした。この本読んでウィーンの観覧車見に行ったなー。
抱かれず なにも抱かずねむりたり半島にあねもねの咲く夢
この半島はどこなんだろうなぁ。「韓国」とかそういう大きな意味の半島なのか、「房総半島」みたいなところなのか。アネモネって地中海産みたいなのでイタリアかなぁ。でも前後の歌からすると旅行詠ってわけではなさそうなので、日本のどこかかな。「抱かれず なにも抱かず」って、ある意味当たり前の眠り方なんだけど、言葉にされるとどきっとしますね。自由と考えるのか、寂しいと考えるのか。
ところで、石川美南の
想はれず想はずそばにゐる午後のやうに静かな鍵盤楽器
ってこの歌の本歌取りなのかなぁ。それとも無関係なんだろうか。
河沿いにマジャルの城を仰ぎ見るトカイ・ワインはどろりと甘く (yuifall)
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