北溟社 「現代短歌最前線 上・下」 感想の注意書きです。
江戸雪
すこし私をほうっておいてください ぶあつい水に掌をしずませる
ぶあつい水、っていう表現に心惹かれました。この人の歌に関しては、巻末に奥村晃作による解説文が載っているのですが、それが印象的でした。
男との関りの中にある女のわれをずっと持て余している印象をわたしは抱いた。男についての発見や経験を積み、男はいつも気になる存在なのだが、男との距離の取り方がうまくつかめない。
とあって、確かにこの歌では「すこし私をほうっておいて」と言ってます。「ぶあつい水」はガラスの壁的ななにかのメタファーなのかな。この水越しにあなたと関わる私、みたいな。きらきらしているけど屈折して歪んだ像をお互い見ているというような。
おたがいに破滅型だしこの距離がいいってこともあるとおもうの
今度は「おたがいに破滅型」で「この距離がいい」。これについても解説で
「おたがいに破滅型だし」なんて一方的に規定しても無理があるし、距離の取り方がつかめてはいない。
と書かれていました。
ちなみにこれに限らず『現代短歌最前線』上巻の解説はいかにも男性目線、というか、奥村晃作自身のナマの気持ちって感じで、下巻の花山多佳子の方はもう少し客観的ですね。あんまり個人の気持ちは入ってきてない文章です。どちらもすごく興味深く読みました。
この歌は、個人的には予防線を張っている感じがします。本当はもっと近づきたいんだけど、「この距離がいいんだよね」ってむしろ自分に言い聞かせているんじゃないかな。のめり込んで傷つかないように。もしかしたら相手に「きみの破滅型を僕は受け止められるからもっとそばにおいで」って引き寄せてもらいたいんじゃないかと思いましたが、それは勝手な読み方でしょうか。
まあ、私が相手の男性だったらそこまで深読みしないけど…。「きみがそうしたいならそうしようか」って言って自然消滅だな…。そしてもし本当にお互い破滅型なら、そこで躊躇ったりしないのではないかとも思いました。
息つぎのできぬまま身をかたくして君の沈黙おしもどしいる
最終的には(解説で「閨房での歌」とありますが)、あんまり楽しそうじゃないセックスの歌になります。こういう歌読んでると、本人というよりも相手の人はどういう気持ちなのかなって思ってしまいますね。女性が「息つぎのできぬまま身をかたくして」いるときに「沈黙」したままセックスして楽しいものなのでしょうか。
解説されているような目で見直すと、相手とのすれ違い、へだたり、違いが意識されている歌が多いような気もします。もちろん恋人と違ってて隔たってるのは当たり前なんですけど、それをうまく受け止められてない感じの。だけどこれは本当に相手も「破滅型」だからこうなってるのか、この人が一人で右往左往してるだけなのか、どっちなのかなぁ。
預けてもないのにきみは逆立てて「重い女はきらいなくせに」 (yuifall)
「したくない、だって寂しいだけ」なんて、あなたは落ちたことがないのね (yuifall)
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