山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
増田静
正式に夏を迎えてボーナストラックのごとき一日を君に
ああ、この歌、いいなって思いました。福岡出身の方で、大学から沖縄に住んでいるそうです。
沖縄には「南の島」っていう側面もある一方で「米軍基地」「失業率」などの側面も決して無視はできないと思うのですけど、この歌はなんていうか、夏への憧れ、夏を抱いた島への愛、それを心の底から楽しんでいる感じがしてとてもいいなって。
「ボーナストラック」がいいですよね。好きなアーティストのアルバムを聴いていて、全部聴き終わったところでまだ一曲ある、っていう。もしかしたらシングルカットされた作品のリミックス版とかなのかもしれなくて、だから「焼き直しみたいな一日」という意味なのかもしれないけど…。
だけど沖縄で「正式に夏を迎える」のはきっと夏休みが始まるよりもずっと前だろうし、これから始まるっていうわくわく感を感じるんだよなー。
うーん、それとも夏以外の季節が好きで、夏の始まりは「ボーナストラック」=「最後の一曲」なのかな。
なんか直感的にいいなって思ったのですが、突き詰めて考えると分かんなくなってきた(笑)。でも好きです。
この島は終電もなく時差もなくモラトリアムに終わりもなくて
って歌も沖縄だなーって思う。この感想、よそ者から見た沖縄、なのかもしれないのですけど。
以前沖縄で働いてた友達が、「ほんとにずっとモラトリアムで、時間は守んないし、お金は貯めないし、毎晩泡盛飲んで宴会してて、毎日すごく楽しかったけど、このままずっとこんな感じで生きていっていいのかなって不安になってずっとは住めないと思った」って言ってたの思いだしました。
(注;個人の感想ですし、彼女の周囲がそうだったというだけで全員がそうとは思ってませんが、少なくとも彼女の職場環境がそういう感じだったのでここでずっと働きながら将来を見るってことが考えられなかった、というニュアンスでした)
だけどこの人は沖縄に暮らして沖縄を見つめ続けてるんだよね。解説に
学生時代を過ごした沖縄はモラトリアムの島だった。しかしその向こうには、古傷を隠しているような素振りがずっとあった。増田は沖縄を郊外の一都市として捉えている。「今、そこ」としての沖縄に暮らす人々をずっと見つめ続けている。このようなアプローチは沖縄文学としては珍しいだろう。(中略) 増田は沖縄を特別な場所だと思うがゆえに、逆にリアルな生活のある普通の都市として描こうとする。
とあります。「沖縄」ってどうしても特別な意味合いを持って語られがちですが、それを「普通の都市」として描く、というのは
雨の日は限りなく道草をするかたつむり達しゃりしゃり踏んで
こういう歌のことなのかな。途中で結婚したような気配があり、
Love & Peaceという名のウイルスが届く結婚式の前夜に
きみのこと勝手にあたしに人生の重要人物にした ごめんね
という歌もあります。こういう歌好き!相手の方は沖縄の人なのかなぁ。
解説に
前もって徹底的に線引きをし、あくまで外部の人間には絶対に触れることのできない歴史的な領域の存在を感じているのだ。
とあるのですが、そこで結婚して家庭を持って子育てをして、子供会とか町内会とか地元のコミュニティに入っていって、ってなるとなかなか「線引き」は難しくなりますよね。
でもどうなのかな。もし外国にずっと住んだとしても日本人としてのアイデンティティを持ち続けるように、どこか「よそ者」の目線のままなんでしょうか。そういうことを突き詰めていくとすごく寂しくなりますね。だって、アメリカだろうが沖縄だろうが隣町だろうが自分の生まれた場所でなければずっと「よそ者」のままなんだろうか。
解説には
増田の歌は恋い慕う沖縄に対する相聞歌なのだとも言える。
とあります。恋焦がれて夢の場所として描くでもなく、そこに育って歴史の傷を負った場所としてみるのでもなく、「普通の地方都市」としての沖縄、ということですね。
この人の歌好きです。私にも、生まれ育った街の他に愛する土地があるので、共感もします。
七時半 暴風警報聞くたびにあなたを思う遠い潮騒 (yuifall)