詩歌における「読み間違い」問題について考えてみました。
間違った「読み」問題 ① - いろいろ感想を書いてみるブログ
間違った「読み」問題 ② - いろいろ感想を書いてみるブログ
間違った「読み」問題 ③ - いろいろ感想を書いてみるブログ
間違った「読み」問題 ④ - いろいろ感想を書いてみるブログ
間違った「読み」問題 ⑤ - いろいろ感想を書いてみるブログ
また平岡直子のコラムの話ですが、別の日には
という吉川宏志の歌が解説されています。
詳細な解説に関しては、ほぼ全文引用したいってくらい面白いことが書かれているので元のページをご覧いただくとして(笑)、この歌には、私にも分かる一種のトリックがあります。つまり、「恥じぬ」は、「恥じる」にもなれば「恥じない」にもなる言葉の使い方だということです。
以前書いた「大学を落ちてくれ」とも通じる言い方ですが、こちらの方がより解釈が難しい。多分、普通に読めば「恥じる」なんだと思います。「思いおり思いて」って二度重ねていて、ここにはやっぱり、「こう思ったが、思ったことが恥ずかしい」という意味に見えるし、もし「恥じない」という意味で誤解なく伝えたかったら「恥じず」にしていたと思うんですよね。
原発をやめてほしいのは自分の願いであって、でも自分は無力で、ああ、もし天皇陛下が「原発をやめよ」と言ってくださったなら、一も二もなく従わざるを得ないだろうに、と想像し、天皇陛下を私的な欲望の行使に使う夢をみたことを「恥じる」と。
ですが、やっぱり、「恥じない」という考え方もできると思う。原子爆弾や震災による原発の被害によって日本では多くの被爆者がうまれ、今でもその傷は癒えていない。原発をやめてほしい、という願いは、決して「私的な欲望」ではないだろう。もし天皇陛下がそうおっしゃったなら、電力の不足によるどんな困窮にも耐えるだろう、自分は日本国民としてそれを決して「恥じない」と。
これは、作者本人がはっきりと正解・不正解を言わない限り、どちらが間違いということもない解釈なんじゃないかな、と思うのですがどうなんでしょうか。どちらの意味にもとれることを十分分かったうえで「恥じぬ」という言い方をしていると思うんですよね。
もっと深い読み、吉川宏志の背景にまで踏み込んだ「読み」がご覧になりたければ元のページをぜひ。こういうの読んじゃうと、やっぱり作者の背景や他の歌についても詳しく知らないとだめなのかなって思ったりもしますが、まあ多分知ってても平岡直子と同じ読みはできないと思うので(笑)、そこは勉強させていただくということで…。
そういえば吉川宏志の
花水木の道があれより長くても短くても愛を告げられなかった
この歌、「告げられた」「告げられなかった」問題を知ってから折に触れ考えるのですが、もし「告げられなかった」としたら、
花水木の道があれより長くても短くても愛は告げられなかった
になるんじゃないかなぁ、って思いました。「きみと共に歩く花水木の道がどんな長さであったとしても、愛を告げることだけはできなかった」という意味で。
このブログでこの歌を取り上げた時、歌の読みに「正しい」「間違い」があるのか、と書きましたが、
こうやって色々考えてもよく分かりません。「正解はない」という言葉に勇気を貰える一方、過去記事では明らかな誤読も紹介しました。
やっぱり、思ったのは、謙虚に読まなきゃないな、ということです。知らないことはたくさんあるし、自分には思いもよらない解釈もあります。「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」と言いますが、誰かの「読み」を読むことで自分では辿り着けない境地を見ることもできます。
何かにハマると感想とか考察書いたりするのすごく好きなんですが、人の感想とか考察読むのもすっごく好きで、短歌も同じだなぁって思いました。
一つの歌の「読み」に関して、面白いなって思ったのが「歌合」という遊びです。多分やり方は色々あるんだと思うんですが、小林恭二の『短歌パラダイス』では、
①参加する歌人を2つ以上のグループに分ける
②事前に複数のお題を提示し、それぞれの題に沿った短歌を作ってもらう
③一つの題につきグループから提示できる歌は一首
④各題ごとに提出された歌の優劣を競う
⑤歌は歌人名が分かった状態で提示される場合も、グループ名(誰が詠んだか分からない状態)で提示される場合もある
⑥実際の試合?では、提出された歌について、本人以外のグループメンバーが味方の歌を褒めて敵の歌をけなす
⑦歌の良しあしとグループメンバーの解釈の良しあしから総合的に判断し、審判が勝ち負けを決める
という感じでやってました。
これは、完全な題詠なので歌集などのように一首の前後の脈絡がなく、しかも場合によっては誰の歌か分からない場合もあり、そのうえ詠み人以外のメンバーが自分のチームの歌を褒めて敵チームの歌をけなす(欠点を指摘する)、というやり方なので、とてもわくわくしました。歌の読み方が、敵か味方かによって全然違くなっちゃうわけですから、正解とか不正解がないんですね。
ただ、読んでいて、それを指摘されちゃったらもうそれ以上のことは言えないなー、みたいな発言や、場の全員がこの歌には敵わない…、ってなって終了した回もあったので、そういう、ある一種の「正解」のようなものはあるんだと思いますが。。
次週土曜日は更新お休み予定なので再来週から、毎週土曜は『短歌パラダイス』の感想を載せようと思います。