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間違った「読み」問題 ②

 詩歌における「読み間違い」問題について考えてみました。

過去記事です。

間違った「読み」問題 ① - いろいろ感想を書いてみるブログ

 

 短歌に限らず、詩歌における「読み間違い」問題について考えていきますが、北村薫の『詩歌の待ち伏せ』という本を読んでいて、ああ、この誤読はつらい、と思ったのが、

「れ」

という詩です。子供の詩を投稿する雑誌かなにかからの引用で(『VOW4』の『詩人の血』というコーナーらしいです)、それは、本当に小さい子供の言葉を母親が書きとって投稿した詩でした(豊田敏久さんというお子さんの言葉らしいです)。引用しますと、

 

 

ママ

ここに

カンガルーがいるよ

 

という内容なのですが、意味が分かりますか?虚心で文字を見れば分かるんですが、「れ」って平仮名がカンガルーの形に見える、という子供のかわいい発見を書いた詩です。ですが、それについたコメントとして引用されていた内容が

 

オーストラリアにでも住んでいらっしゃるのでしょうか?

タ、タイトルが「れ」。凄いな。れ。しかもただの子供のたわごとだしなあ。れ。

 

これでした。ちょっとっていうかかなり引きました(笑)。誤読にもほどがあると。こういうの読んでしまうと、どんな読み方しても自由だ、「間違い」はない、とは言えなくなってしまいます。明らかな間違いはあるんですよね、残念ながら。すごい怖くなりませんか?自分がこのレベルの誤読してたら…。恐怖です。

 

 また、同じ本ではある川柳も引用されています。川柳そのものを引用する前に「自分はこれを誤読して恥ずかしかった」ということに触れられているので、誤読するまいと身構えて読んだこともあり、衝撃の度合いは「れ」よりも低かったのですが、以下、引用します。

 

感じ方は色々――といっても、論外ということがあります。後から《うわー、何をやってるんだろう、俺は》と、赤面するような例なら幾らでもあります。

『川柳でんでん太鼓』(田辺聖子講談社文庫)を読んでいたときのことです。――と、書きかけて、もう止めたくなるのですが、白状しましょう。こういうのがありました。

親類の子も大学を落ちてくれ (十四)『番傘川柳一万句集』

見た瞬間に、《何て嫌な句だろう》と思いました。自分の子が滑った時のことでしょう。確かに、人にそういう心がないとはいえない。けれど、剝き出しにされては堪らない、と思ったのです。

しかし、続く解説には、こう書かれていました。《『一万句集』の中でも有名で、私も好きな作品の一つ、この「くれ」は命令・願望ではない。連用止めである》。

 

 つまり、「落ちてくれ」は、「落ちてほしい」ではなくて、「落ちてくれた」の連用形止めであると。確かに、そうでなければ意味が通らないと思う反面、文法上は「落ちてほしい」ととられてもやむを得ないなあ、とも思います。自分の子供が大学を落ちて、親類の子供も落ちて、しょうがねえな、お前は俺の馬鹿息子のために落ちてくれたんだな、っていう粋な句なんだと理解する一方で、落ちたのがうちの子だけではありませんように、うちの子だけじゃなくてよかった、という気持ちが100%ないか、って考えると、うーん、って思う。多分、どっちの意味にもとられる可能性があることが分かった上でこの形にしたんじゃないかなって思うんですよね。だから、これは100%間違いとはいえないのかなって。

(そしてこのように、「文法上は正しい」にも関わらず意味が全く変わってしまう文章を見ると、他言語の和訳だったらもっと難しいな、って思います)

 しかし、「感じ方は色々といっても論外ということがある」という言葉には本当に恐怖を感じるし、一方で北村薫ですら「赤面するような例なら幾らでもある」のか、と考えると、経験を重ねるしかないのかなという気もしますね。。

 

 続きます。