山田航 「現代歌人ファイル」 感想の注意書きです。
大松達知
バレーボール知らぬバレー部顧問われすなはち象徴天皇のさびしさ
この人も3度目の登場です。何度見ても面白いですね。だけどさー、象徴天皇って、君臨するとも統治せずなだけで、日本のことは詳しく知ってるんじゃないの?と思わないでもない。まー、あんまり強いバレー部じゃないのは分かった(笑)。
とてもとてもうまくゆきたる一コマの授業ののちも拍手はあらず
学校の先生のようです。だよねー、拍手とかないよねー(笑)。「とてもとてもうまくゆきたる授業」って自画自賛が笑えます。他にも学校の歌色々あって、
成績を上げます。がんばります。と書く賀状さびしも名を見ればなほ
みたいな身も蓋もない感じが面白いので読んでみてください(笑)。コロナで休校とかオンライン学習とかになってた時もそれも歌にしたりしてたのだろうか。
夫婦の暮らしを詠った歌も紹介されています。
手をつなぐためにたがひに半歩ほど離れたりけりけふの夫婦は
ちょっと離れて手をつなぐ姿、愛おしいなって思いながら読みました。他にも
妻とわれ入り組むやうに生きてゐてされどそれぞれ爪切りがある
とかも好きです。お互いの領域を守りながらも奥さんとちょっとずつ生活や習慣が混じり合っていくような様子が描かれていて、愛おしいなと思ったのですが、解説には
恋の歌、妻の歌なども多いのだが、「人間は決して交わることができない」という思想に覆われているような印象を受ける。最も近くにいる「他者」である妻でさえ〈私〉が侵入できない領域があり、それは〈私〉も同様なのだ。世界はつねに他者で満ちていて、自分では視認することさえできない領域がその大半なのだという諦念が感じられる。つまり、大松は「個」をうたう歌人なのだ。
と、全く感じ方の違う感想が書いてあってびっくりしました。もちろん「妻」といえども「他者」だから「私」と同一の存在ではないのですが、その上で「入り組む」「入れ替はる」ような生活を重ねていっているのではないかな、という風に読んでいたので。多分、混じる=mix、っていう感覚だと「人間は決して交わらない」という捉え方になるのかも。
よく、人の集団に入る時、日本語では「混じる」って言うけど英語ではjoin(加わる)である、という話を聞きますが、そういう感覚ならば「混じりながら生きていく」って捉え方になるのではないだろうか。というか、ごく親しい人とは、「溶け合う」わけではなく、モザイク状に介在し合いながら生きていくものなのかなと私は思っています。
オンライン講義データが残るゆゑ下ネタひとつも言はずに終へる (yuifall)
短歌タイムカプセル-大松達知 感想 - いろいろ感想を書いてみるブログ