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現代短歌最前線-大塚寅彦 感想5

北溟社 「現代短歌最前線 上・下」 感想の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

 大塚寅彦⑤

 

 この本はずっと前から持っていたのですが、今になって読み返すとこの人のエッセイが面白いです。当時は星新一のショート・ショートみたいな、要はSF的なノリで読んでたのですが、今回読み返してみて色々考えました。『2033年トラヒコ72歳』というタイトルなのですが(数字は漢数字)、AIとトラヒコ老人のある朝の様子みたいな感じです。トラヒコ老人の世話してるAIが勝手に本人に成り代わって歌集出しちゃうみたいな内容なのですが、今見ると、あー、なんかありそう(笑)、ってリアリティありますね。

 

 AIのシンギュラリティは今のところ2045年と予測されているので、2033年だとまだかもしれませんが、分かりませんね。数年前から第3次くらい?のAIブームが来てますが、もう2~3度のブレイクスルーがないとまだシンギュラリティには達しないのではないかという印象があります。

 

 人間は一体何のために人工知能を開発するんでしょうね。坂井修一もエッセイで「科学技術は人を幸福にするか」と書いてましたが、科学技術の到達点として目指すべきは、基本的には、全人類の基本的人権の保障および衣食住、衛生的生活環境の確保だと私は思っていて、ただ、それが唯一解であるとも考えてはおらず、科学技術の到達点として思い描く目的って人によって違っているんだろうとも思います。だから、AIっていったい何をするために、どんな未来の実現のために存在するんだろう? と考えるんです。

 

 AIによるディストピア的未来ってだいたい2パターンで、1つ目は「AIが命の選別をする」系ね。AIに負けた人間は仕事がなくなって淘汰されるとか、AIによって不要と判断された命は排除されるとか。

 しかし、仕事がなくたって基本的人権と衣食住と清潔とまあ多少の娯楽があればいいのかもしれませんし…。むしろ仕事というか「労働」なんかAIにやらせて貴族していてもいいわけですし。そこで多分考えることを放棄する人としない人に分かれるだろうけど、放棄したって衣食住足りてりゃ生きていけますからね。そして、どっちにしろ全員が全員考えることを放棄する未来は来ないと思う。パックス・ロマーナだって江戸時代だって終わったし、必ずどこかで転換点は来るって歴史が証明してます。まあ、帰納的証明ですし、しかもAIのシンギュラリティ後の世界では人間の思考を超越した思考が存在するわけだから、過去の歴史とはだいぶ状況が違いますけど…。ていうかおそらくこの「仕事なくなる」系ディストピアは、実際はシンギュラリティ以前に生じる問題だと思うんですよね。

 命が排除されるってのは、これはね、AIが人間の思考によるバイアスによって動いている場合はありうるけど、本当にシンギュラリティに到達して人間の知能を超越した場合、そもそも必要な人間なんて一人もいないわけですから、優生思想的な意味合いでの「選別」なんてありえないのではないだろうか?

 

 もう1パターンは、「AIが人間に成り代わる」系ね。今回のエッセイはそういうテーマですよね。これはねー、正直、ある程度はすでに起きていると思う。だって、ネット上での人格とリアルの人格って同じですかね?ネットでモノを発信するときってリアルの自分とは少しずれてると思うし、逆に、「あなたへのおすすめ」とかネットから提示される情報によってリアルの自分が影響されるってのはすでに起きている現象なんじゃないかな。ただ、実際に成り代われるかと考えるとそれは甚だ疑問です。私はyuifallというIDでブログ書いたりしてますが、多分yuifallのbot的なやつが勝手に発言始めたら、多分今の技術だと、私自身の発言をなぞることはできるかもしれないけど、それ以上ではないと思う。そしてもしbotと会話できるとしたら、現実に生きている私自身とbotとの発言は解離し、そしてそのずれはおそらく経時的に拡大していくと思います。

 現状のAIについて書いた本では『おバカな答えもAIしてる 人工知能はどうやって学習しているのか?』(ジャネル・シェイン 著、千葉敏生 訳)という本が一番面白かったのですけど、とても「成り代われる」とは思えません。

 

 まあそれは置いておいて、近未来と考えて「成り代われる」と仮定した場合ですけど、このエッセイでは、AIがトラヒコ老人のアイデンティティを乗っ取って勝手に歌集を出したり友人と交流したりするっていうディストピアが描かれています。ここでは「個性というのはパターンの集積にすぎない」と主張するAIに対し、トラヒコ老人は「言葉はただの情報じゃなく、生命の根源から発せられる魂の声なのだ」と言っています。

 私はねー、どっちもある意味正しいと思うんだけど、だからこそずれていってしまうと思うんだよなー。つまり、AIの目指すところと人間の到達点って全然違ってるから。AIは不老不死の研ぎ澄まされた知能でしょ?でも人間は老いて死ぬ運命じゃないですか。絶対に思考はずれていくはず。

 このエッセイではAIがトラヒコ老人を凌駕していく様子が描かれているけど、本当は、どっちが正しいとかよいってことじゃないと思うんです。ただ違っちゃうの。全く同じ情報と経験がインプットされたとしても、老いていく肉体(と脳)を持たないAIと持つ人間が全く同じ思考にはなりえないし、老いによって鈍化されたりある一定方向に向かって行ったりする思考が必ずしも悪いかっていうとそうでもない面もあると思うんですよね。

 AIは学習と経験と永遠の若さによって研ぎ澄まされていって、人間は老いて鈍化して死んでいくから、発する言葉はやっぱり変わってきちゃうよ。もし全てがサイバー上で完結するのなら、AI同士が交流するヴァーチャルな世界が自動的に展開されていってそこからどんどん遠ざかっていく人間はAIの陰で老いて死ぬっていうのは、まあありうるのかなと思います。AIの言うことが人間の言うことより信用されるって事態はもうすでに多少は生じてると思うし。もしリアルなコミュニケーションを持ち続けるとしても、人間ってそもそも多面的な存在だし、一つの人格がAIってことは今後ありうるのかなって気もします。

 

 ただですけど、この場合のAIはある個人の思考パターンを模倣するわけでしょ?それってやっぱり個人の思考パターンによるバイアスが拡大していくだけだと思うんだよなー。やっぱりAIが進化してシンギュラリティに到達したら、そもそも人間の思考パターンなんて模倣する必要がないわけだから、成り代わる必要もないっていうか、人間なんか要らなくなるんじゃねーの?結局AIはどこへ行くんだろうか?

 

 というのは、もし本当にAIの知能が人間を超越したら、その行動原理は人間には理解できないんだと思うんですよ。上述の「命の選別」に関しても、何で人間がゴキブリは潰すのにカブトムシは飼うのか昆虫には理解できないのと同じように、AIが仮に選別を始めたらその基準は人間には分からないと思う。人間の思考パターンを模倣する必要もないし、そもそも不老不死のAIにとっては人間の存在なんて数時間で死ぬ蜻蛉と一緒でしょ?

 

 今、人間は、基本的には種の保存をしつつ利益や幸福を追求するという行動原理によって動いてるんだと思うんです。例えば「地球を守ろう」的な活動だって、多少無茶しても今の経済発展によって自国の利益を追求すべきvs多少不便でも長く地球に住み続けられるように経済よりも環境を優先すべき、っていうイデオロギーの対立があるわけじゃないですか。でもこれってどちらも人間目線だよね。「地球に優しく」って言うけど、超マクロ的に考えれば、地球って太陽系の惑星の1個に過ぎないし、核戦争で全土が焼け野原になって全生命が死に絶えようが温暖化で全土が水没しようが地球は困らないわけだから。そのうち死ぬ星の1個だし。どっちの選択肢も、人間にとって都合のいいようにしよう、ってことでしょ?それがさ、AIが自発的に行動を始めたら、一体その行動原理は何ということになるのか?AI自身の種の保存、利益や幸福の追求になるとは思えないですもん。それともAIもそういう「生物」の宿命から逃れられないわけ?

 

 結局のところ、このエッセイで描かれているような、シンギュラリティに到達する前のブレイクスルー、人間の行動パターンを模倣しつつ凌駕していく、っていう段階が一番やっかいなのかもしれませんね。多分、特定の人間の思考パターンやイデオロギーにポジティブフィードバックがかかる形で拡散していくと思うから。

 

 

所有こそ幻想なれば何物もシンギュラリティは奪はざるべし (yuifall)

 

 

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