北溟社 「現代短歌最前線 上・下」 感想の注意書きです。
大塚寅彦
指頭もて死者の瞼とざす如く弾き終へて若きピアニスト去る
この人の解説文には
発見のアングルを通して物をしたたかに詠む
それぞれの物が作中にしかと在る
と書かれていて、確かにこういう歌を読むと、光景が目に浮かびます。目の前にある光景を独創的な目線で切り取って、心情を交えず光景だけを詠んでいるのに深い共感をよぶ、というのは『桜前線開架宣言』の小原奈実にも感じましたが、こういう歌作るのはめちゃくちゃ苦手なので、読むとただただ圧倒されます。
魚の眼にわれは異形のものなるを しづかなるひるの水槽に寄る
この歌を読んだとき思い出した一遍の詩があります。松下育男の『肴』(これも「さかな」ですね…)という詩集の『顔』という詩で、その一節の引用ですが、
こいびとの顔を見た
ひふがあって
裂けたり
でっぱったりで
にんげんとしては美しいが
いきものとしてはきもちわるい
と。この一節が強烈に印象に残っています。美しい恋人の顔を見て、「いきものとしてはきもちわるい」と感じられる感覚の鋭さが怖いくらいで、この詩は最後
帰って
泣いた
で締めくくられているのですが、そりゃあもう、こんな鋭すぎる感性を持っていたら、泣くしかないな…って思ってしまいました。本当に、こういう言葉に触れるといつも打ちのめされるような気がする。前田透の
分去の名はかなしくて吾を責む才なき者文学を捨てよ
という歌が胸に迫ります。こういう言葉を持っている人じゃないと文学はやっちゃいけないんだ、って。
つきかげに育まれたる氷魚なればすりぬけてゆくわが掌
魚の歌をもう一つ引いてみました。氷魚って鮎の稚魚なのかぁー。コマイ、と読む場合はタラ科の海水魚らしいです。どっちの意味なんだろう。育まれるから鮎の稚魚の方かなぁ。この言葉の意味わかんなくてググったら、なんかイケメンがヒットして(というかそればっか)困惑したわ(笑)。
プロペラの音響かせる川沿いにスカベンジャーとして蟻を見る (yuifall)
生き物としては気持ちの悪いきみ 愛とか ちくしょう どうしてなんだ (yuifall)
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