北溟社 「現代短歌最前線 上・下」 感想の注意書きです。
われながら女の情の恐ろしく夜のうなじに木枯らしを巻く
これとか、どうですか、もう。この人の歌も語彙力奪う系ですね…。すごいしか言うことないですね…。同じく好きだなとかすごいなって思っていても、どうも (私を)饒舌にさせる系と沈黙させる系の歌人がいて、沈黙系の人はあんまり感想とか書けなくて困ってしまいます。なんか、とにかく、好き!みたいな貧困な感想しか出てこないんだもん…。ていうか、別に私がどうこう言わなくたって歌読んだらすごさが分かるよね?みたいな感じです(笑)。
水流にさくら零る(ふる)日よ魚の見るさくらはいかに美しからん
この歌は古典和歌の匂いがしますね。
ちはやぶる神代もきかず龍田川からくれないに水くくるとは (在原業平)
とか
ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ (紀友則)
を思い出しました。
大塚寅彦の歌にもありましたが、「魚の目に映るなにか」に想像が膨らむのは、「魚眼レンズ」の景色からの連想なのかな。昆虫とか無脊椎動物までいっちゃうと、一体どんな世界が見えているのかちょっと簡単には想像しづらいもんなー。昔トイカメラにはまってたこと思い出しました。ホルガとかで撮ってたよ。サブカル女子が通る道(笑)。
魚の目に映る景色を自分の見る世界とは違うと思うように、もしかしたら隣にいる人が見ている景色も私が見ているものとは全然違っているのかもしれないって時々思います。
いちまいの水面のうへ滑り来て水鳥一羽こころに入りぬ
現実なのか幻なのか分からない光景ですね。水面は「いちまい」でちょっと平面的で、水鳥はそこを滑ってきてこころに入るのか。この歌も好きだけど全く解釈できないしなぜ好きなのかもうまく説明できないです。解釈できないのはともかく、どうして好きなのか自分で分からないけど好きな歌って不思議だなー。
鳥に関連した秀歌ってたくさんありますけど、どうも鳥の歌って自分は作れる気がしない。「古代」と同様、自分の脳内に鳥って馴染みがないです。図鑑とか見てみたけど、どの地域に生息しててどの季節にどんな行動してどんなときにどんな声で鳴くとか分からないと思い描けないんだよな…。現実の鳥見ても種類がよく分かんないし。。自分のこういう理系っぽい理屈っぽさが時に嫌になります。鳥の歌って作れないからこそ心惹かれるのかも。
並びつつ異なる景色を見ておらむわれと蝗に注ぐゆふぐれ (yuifall)
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