いろいろ感想を書いてみるブログ

短歌と洋楽和訳メインのブログで、海外ドラマ感想もあります

桜前線開架宣言-岡崎裕美子 感想

左右社 出版 山田航編著 「桜前線開架宣言 Born after 1970 現代短歌日本代表」 感想の注意書きです。

yuifall.hatenablog.com

岡崎裕美子

 

 解説には

 

 ただ普通に恋愛をしているだけで、なぜ女性ばかりが「傷ついた存在」にならなくてはいけないのか。身体だけのセックスをすることでなぜ、女性にのみ「自傷行為」の匂いがまとわりついてくるのか。

 

と書かれていたのですが、多分これはこの人の歌を「性愛」という文脈で読むからそう感じるのではないだろうか。身体だけのセックスが自傷行為になるのは、「女性」だからじゃなくて、「この人」が実際に自傷行為としてセックスをしているからではないかな。

 ただの恋愛によって女性は傷ついた存在にはならないし(少なくともならないと私は思っているし)、身体だけの関係であっても、2人ともが自由意志のある成人でお互いに割り切って楽しんでいるのなら(かつ避妊、STD、NG行為、社会生活等を含めて総合的に毎回きちんと了解があるのなら)、それは男女どちらにとっても自傷行為ではないのでは?

 

 例えば摂食障害だってそうだよね。めっちゃ食べたって、それが好きだとかそういう体質だとか太ったとしても気にならないんだったらそれは自傷行為じゃないけど、太りたくない、成熟したくないと思いながらむちゃ食い嘔吐するなら自傷行為だし。確かに自傷行為の手段には男女差があるのかもしれないけど(摂食障害については日本内分泌学会が「90%以上は女性」と書いてますし、依存症対策全国センターによればアルコール依存は男性が1.9%、女性が0.2%、厚労省の統計では喫煙率は男性29.0%、女性8.1%、ギャンブル依存症は男性8.7%、女性1.8%です)、女性だから身体だけのセックスが自傷行為になる、っていうよりも、自傷行為の手段としてセックスを用いるのは女性により多い傾向がある(統計示せませんが)、という風に理解しています。

 

 この人の歌を読んで感じるのは、これはいわゆる「性愛短歌」ではないだろう、ってことです。「性愛」じゃないでしょ、ここにあるのは。つまり、繰り返しになりますが、身体だけのセックスをすることが自傷行為になる、んじゃなくて、自傷のために身体だけのセックスをしてる、ってことなんだと思う。

 

絶え間なく抱かれ続けるわたくしのからだではもうなくなってしまう

 

なんか、やっぱり痛々しい感じがするもん。抱き合うことを楽しんでるって空気じゃなくて、消耗していく感じ。相手が不特定多数な感じもそう思わせるのかもしれません。「わたくしのからだではもうなくなってしまう」と自分の「からだ」を書いてるけど、「気持ち」については、自分というよりも相手の人格が全く感じられないんだよな。相手は誰でもよくて、「わたくしのからだでなくなる」ことを目的として「抱かれ続けてる」んじゃないかと感じます。

 ていうか、自由意志を持つれっきとした成人女性なわけだし、何らかの形で強要された行為でない以上、嫌だったらセックスする必要はないわけで、やっぱり意図的に摩耗するためにそういう行為を重ねているんだろうという気がします。

 こういうセックスって、上にも書きましたが、食行動異常(過食/拒食みたいな)とかリストカット、薬物中毒と同じ、自傷行為、自己破壊衝動からくる行動なんだと思うんですよ。もう何も考えたくない、明日なんてない、全部壊したい、自分なんて大切な存在じゃない、みたいな投げやり状態の時にとる行動の一種というか。この人の場合はそれがセックスで、ちょっと中毒っぽくなってるって感じがします。

 

それなのにだんだん濡れてくるからだ割れた果実がにじむみたいに

 

もそうだよなー。別にセックスが好きなわけじゃないけど他に理由があってそうしていて、濡れるのはただそうなるだけ、って感じです。全然楽しそうでも気持ちよさそうでもないんだよな。食べたくないけど食べずにはいられない、死にたいわけじゃないけど切らずにはいられない、みたいなさ。アディクションなんですよ。好きでもないのに止められないの。

 でも「立ったままする快楽がある」って歌もあるし、一応「快楽」という認識はあんのかな。しかし「快楽」って「快い」「楽しい」ですよ。本当にそう思ってるのかよ(笑)。快楽というよりも、やっぱり一瞬だけ全部忘れさせてくれる何か、みたいな感じがするな。

 

 なんかうまく説明できないんだよなー。自傷行為として、傷つくためにセックスしているという感じがある一方で、「わたくしのからだではない」という感覚からは、自分と肉体は解離しているから痛みはない、というか、自分と肉体を解離させることで痛みから逃れるためにセックスしているような感じもする。

 多分こういう状態は、自分はあるべき自分ではない、という自己肯定感が低いところから始まってて、セックスの場合は分かりやすく他者から求められるからそこに溺れつつも、この人が求めているのは「わたし」ではなくてわたしっぽい形の「容れ物」なんだ、っていうのをありありと認識している感じ。これ以上突き詰めると精神疾患の考察になってしまいますしそういう目的の文章ではないのですが、アルコールや薬物と違ってセックスは他者が介在するからより問題が見えにくいし複雑になって厄介ですよね。

 

 穂村弘もこの人の歌を例にとって「男女の性的非対称性」について書いており、まあもしかしたら確かに男性には自傷行為としてのセックスというのはあまり馴染みがない感覚なのかもしれません。おそらく男性はセックスで自分を傷つけてくれる相手をそんな簡単に探せないだろうし…。この「傷つける」というのは暴力とかそういった物理的な意味合いではなく、自分なんてクソだって感じってことですけど、正直言って私には多くの男性がそういった意味合いのセックスに共感できるかどうかはよく分からないです。

 岡崎裕美子の短歌の登場人物に関して言えば、この人のセックスの相手は「男性」というよりも、過剰な食べ物とかリストカットのナイフと同じような存在なんじゃないかなって思いながら読みました。なので、うまく言えないんですけど、男⇔女、って対比もちょっと違和感あるんですよね。ここに男なんていないだろう、って気もします。この人のリスカ行為をただ眺めているような。

 

 

血を流す前の身体は食べたがる黄色い卵巣黄色い脂肪 (yuifall)

傷よりも舐めたい場所を言ってみて、たぶんおんなじ味がするから (yuifall)

 

 

桜前線開架宣言-岡崎裕美子 感想2 - いろいろ感想を書いてみるブログ

短歌タイムカプセル-岡崎裕美子 感想 - いろいろ感想を書いてみるブログ

現代歌人ファイル その59-岡崎裕美子 感想 - いろいろ感想を書いてみるブログ

「一首鑑賞」-80 感想 - いろいろ感想を書いてみるブログ